「きのこ雲の下で何が起きていたのか」その10/7年公表されなかった
今日は8月25日。
8月21日の投稿に引き続き、昨年の8月6日放映の
「NHKスペシャル きのこ雲の下で何が起きていたのか」
の聞き書きをしていきます。
ナレーター:原爆投下後3時間後に撮られた写真。
戦後しばらく、人目に触れることはありませんでした。
その存在が、世界に知られるようになったのは、
アメリカでのことでした。
写真雑誌「ライフ」によるスクープでした。
図書館の人:これは1952年9月のライフ誌です。
ナレーター:原爆投下から7年が過ぎていました。
なぜ公表までに7年もの時間がかかったのか。
その経緯を知る人物が見つかりました。
グレッグ・ミッチェルさん。
核兵器をテーマに取材を続けてきたジャーナリストです。
御幸橋の写真を撮影した松重美人さんに、
生前、話を聞いていました。
グレッグ・ミッチェルさん:取材をした時、松重さんは、
実は、あの御幸橋の写真は、アメリカの進駐軍によって、
奪われてしまったと、話していました。
ナレーター:戦後、日本を占領したアメリカは、戦争被害の写真を
検閲していました。
日本人が撮影した写真を探し出しては没収していたのです。
ミッチェルさん:原爆投下が実際に何をもたらしたのか、
アメリカ政府は隠そうとしました。
一般市民を巻き込み、無残な死に方をさせた事実を
知られたくなかったのです。
ナレーター:写真が隠された7年に重要な意味があると言う人がいます。
今年、ワシントンで原爆展を開いたピーター・カズニック教授です。
御幸橋の写真を展示しています。
ピーター・カズニックさん:写真が公表されなかった7年の間に、
アメリカ人は核兵器が必要だと考えるようになりました。
ナレーター:終戦直後から、アメリカとソ連の冷戦が深刻化。
核開発競争が加速しました。
世界には今、およそ1万6千発の核兵器が存在しています。
カズニックさん:写真が公表されなかったことで、
核兵器の本当の恐ろしさが伝わる一つの機会が、
失われてしまいました。
この写真を見たら
「核兵器は許されるものではない」と
アメリカ人も気づいたはずです。
ナレーター:写真はアメリカでの公開後、
日本でも展示され、多くの人がその存在を知るようになりました。
原爆が、市民の上に落とされた事実。
忘れることがないようにと、写真は掲げられてきたのです。
まだつづく。
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