正岡子規の選択/生きた証・見果てぬ夢
今日は7月30日。
7月21日の「英雄たちの選択 生きた証か 見果てぬ夢か
~近代文学の祖 正岡子規の選択~」を見ました。
この番組から・・・・
明治29(1896)年、正岡子規28歳の時に、
子規は体の異常に気がつきます。
時に激痛が走り、背中から膿が出ました。
関節が炎症を起こすリウマチだと思い医者に診てもらったところ、
病名は「脊椎カリエス」
結核菌が脊椎を壊死させる病でした。
この時子規は、もう手のほどこしようがない末期症状でした。
「余命わずか」
厳しい現実を突き付けられた正岡子規。
その子規には2つの選択がありました。
子規の心の声を聞き書きします。
【その1】
生きた証を残す(写生句の普及)
わしは俳句で成り上がらんと猛勉強して写生句にたどり着いた。
しかし、まだ古い伝統を重んじる俳句界の巨匠たちから、
評価されているとは言えんのじゃ。
このままじゃ、一時的な流行で終わってしまう可能性さえある。
今のわしは、写生句の普及に専念し、
俳句界を改革させんと行かんのじゃ。
ほしたら、俳句界に生きた証を残すことができると違うかの。
【その2】
見果てぬ夢へ踏み出す(日本語の革新)
いまだにこの国は、古い伝統に縛られて、
人々は自由に感情を表現できんままじゃ。
今のわしなら、たとえ体が不自由でも、
庭の景色なんかを題材に、新しい文章表現をうちだせるに違いない。
そうなれば、日本人の心の世界は、より一層豊かになるはずじゃ。
しかし、わしに残された時間は、あまりに短すぎるんじゃ。
新しい表現をうちだせんまま死んでしもうたら、
人生の最後を無駄に終わらせることになってしまう。
【その1】はある程度実績が残っている俳句界で
「生きた証」を残そうという考え方です。
【その2】はやったことがない新しいことへの挑戦です。
そうか、子規にはこのような選択があったのかと、
この番組を見て初めて知りました。
皆さんはどちらを選びますか。
アナウンサーが皆さんならどちらを選びますかと問いました。
2人の回答者の発言が印象に残ったので、
次の投稿に書きとめたいと思います。
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