バタフライ誕生にかかわった日本人/さらに・・
今日は6月11日。
日めくりより。
バタフライにはこのような歴史があったのですね。
さらに調べていくと・・・・
ラーデマッヒェルというドイツ人が考案したのは腕の動きでした。
そしてバタフライの足の動き(ドルフィンキック)は、
日本人の考案であることを知りました。
その方の名前は長沢二郎さんです。
次のサイトから引用。
※短文ネタ置き場 〈水泳選手・長沢二郎〉の名はもっと広く知られていい。 2010年3月28日投稿記事
〈水泳選手・長沢二郎〉の名はもっと広く知られていい。
朝刊で長沢さんの訃報を知り、そう思った
◆この人がいなかったら、世界に今のバタフライ泳法はなかった。
1ストローク2キックのドルフィンキックは
バタフライ泳法の常識だが、これをあみ出したのが、
長沢二郎その人だった
◆もう半世紀以上も昔になる。氏は早大水泳部の現役選手だった。
彼以前のバタフライといえば、キックは平泳ぎと同じカエル足だった。
さらにいえば、バタフライは独立した種目ではなく、
生まれは平泳ぎ種目の一泳法だった
◆長沢さん自身、ヘルシンキ五輪(1952年)に出場、
200メートル平泳ぎで6位入賞を果たしたが、
この時の泳法はカエル足のバタフライだった
◆その後、54年にバタフライが平泳ぎから分離、
独立種目になって長沢さんはドルフィンキックを開発。
平泳ぎでは認められなかったこのキックで世界記録を連発した
◆23日、長沢二郎逝く。78歳。
ドルフィンキック創始者の死を悼み、
強かった水泳日本の時代を偲ぶ。
長沢二郎さんは2010年に亡くなっていますが、
このようなパーティーがあったようです。
※あらいSS ドルフィンキック泳法生誕50周年記念パーティー
2004年のこと。
このサイトに掲載されていた写真です↓
この方が、長沢二郎さん。
日めくりのおかげで、偉大な日本人を知りました。
この投稿は、ここで終わる予定でしたが、
もう少し載せたいことが出てきました。
上記の長沢二郎さんの写真は「あらいSS」という
スイミングクラブのサイトに載っていました。
このあらいSSのオーナー兼コーチが新井敏郎さんです。
おそらく上のパーティーに参加した人です。
この新井さんにはこの後過酷な人生が待っていました。
進行性のガン「悪性黒色腫」を患ってしまい、
2015年1月31日に永眠されていました。
その闘病記ブログがこれ↓
このブログが始まったのが2010年7月。
少し読んでみた。急に自分の前に現れた人物。
ズシンと心に残りました。
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