草木が生い茂った中での占守島の戦いだった
今日は12月2日。
太平洋戦争終結直後に起こった戦いについて
以前書いたことがあります。
※ここでも道草 「写真が語る戦争」・・・占守島の戦い/池田末男さん(2008年11月26日投稿)
※ここでも道草 「わしズム」・・・占守島の戦闘のマンガ(2008年12月4日投稿)
「占守(シュムシュ)島の戦い」
1945年8月18日に突然上陸してきた旧ソ連軍との戦いです。
今までの投稿では戦車第11連隊連隊長池田末男さんのことを
書いてきました。
11月24日放映「池上彰の教科書に載っていない20世紀」で、
この占守島の戦いが扱われると知って録画しました。
その番組について少し書きとめておきます。
レポーター役の宮崎美子さんが、ヘリコプターを使って
占守島に向かうシーンからスタートしました。
実際に行けるなんて、いいなあ。うらやましい。
かつては人がすんでいた島ですが、
今は灯台守のみが住んでいるそうです。
上空から宮崎さんが
「あれ何かしら?戦車じゃないですか?」と言っていました。
戦車でした。
70年前の戦いの残骸が今も残っているのでしょうか。
ビックリです。
そして意外だったのは、見晴らしのいい草原であること。
このような見通しのいい場所での戦いだったのでしょうか。
疑問に思いました。
宮崎さんを乗せたヘリコプターは占守島に着陸しました。
宮崎さんは上空から見えた戦車に近づきました。
日本軍の戦車でした。
もっとたくさんの戦車があったと思うのですが、映像を見た限りでは、
広大な草原に残る戦車はこの1台しか見当たりませんでした。
なぜここに残っているのでしょうか。
このような見晴らしのいい草原での戦いであったのか
疑問に思いましたが、戦争に参加した方の証言で、
そうではなかったことを知りました。
池田末男さんの率いていた戦車第11連隊所属の
小田英孝さんの証言です。聞き書きします。
小田:絶対に来ると思っていなかったソ連軍が、
まして終戦になったら戦う気なくて、
戦争なんてないと思っていた。
そこにソ連軍が来た。
ナレーター:上陸するソ連兵、およそ8800人。
虚を突かれた日本軍は、当初800人程度で戦うことになった。
小田:これは私の戦車。
きゅうごのけい戦車なんです。(下線部意味不明でした)
こういう戦車なんですね。
ぼくはここの機関銃手。(上の写真で指で指している場所)
ここにおったんです。
ちょうど葉っぱが戦車のこの辺まで(下から半分ほど)くるんです。
ナレーター:戦争当時、占守島は短い夏でした。
大地を草木が覆い、銃を撃つ場所からは前が見えませんでした。
小田:操縦士は前、見えないよ、葉っぱで。
車長はこの上(戦車の最上部)だからよく見えるの。
「目の前 敵いっぱいだ、小田、撃て撃て!」
「何も見えません」
「見えなくてもいいから 前は敵でいっぱいだから、
どこ撃ったって当たる」「とにかく乱射せい」
というから、弾倉を入れてダダッーって撃って、
また弾倉をはずしてまた入れて・・・
敵がたくさん見えた車長の恐怖はさぞやすごいものだったでしょう。
池田末男さんのことは全く出てきませんでしたが、
占守島の戦いの様子がわかった番組でした。
95の軽戦車ですね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%BA%94%E5%BC%8F%E8%BB%BD%E6%88%A6%E8%BB%8A
投稿: ただいま新城営業所 | 2015年12月 3日 (木) 19:59
さすが。そうだったんだ。
「きゅうごのけい」戦車は「九五の軽」戦車。
正確に聞きとってはいたんですね。
情報をありがとうございます。
投稿: いっぱい道草 | 2015年12月 4日 (金) 04:26