涙を流したピエロ ジャン・ドゥビュロー
今日は12月31日。
家中のカレンダー・日めくりを2016年版に取り換えました。
トイレの雑学日めくり「雑学王」も、交換です。
(つまり新年も「雑学王」です)
2015年版「雑学王」の年末の1枚・・・
「ピエロのメイクには、なぜ涙が欠かせないのか?」
このような文章を読めば、
ジャン・ドゥビュローに関心を持ちますよね。
なぜ最後の舞台で涙を流したのか?
でもなかなかこの人のことが検索しても見つからない。
少ない情報によると・・・
フランスの映画「天井桟敷の人々」の主人公は、
このジャン・ドゥビュローがモデルのようです。
↑TV5MONDE LES ENFANTS DU PARADIS 『天井桟敷の人々』
次のサイトに説明が少々ありました↓
引用します。
ジャン・ガスパール・ドビュロー(1796-1846)というのは
実在したボヘミア出身のダンサー&俳優。
外国出身の言葉のハンデもあって
パリではパントマイムで独自の世界を築きあげ、
現在のピエロのスタイルはほぼずべて
彼の手になるものなのだそうです。
19世紀に活躍した人だと判明しました。
さらに、Wikipedia「天井桟敷の人々」の脚注に説明がありました。
引用します。
(前略)
先祖はボヘミアンでダンサー俳優として活躍し、
近代パントマイムの創始者でピエロを考え出したとされる
人気無言劇俳優である。
尚、実際に、殺人事件を起こしてしまい、
後に過失致死とわかるのだが、
その裁判には各層を問わない彼の熱狂的なファンが、
声を聴きたさに詰め掛けたという記事が残されている。
そうか人気無言劇俳優だったので、
多くの人が声を聞きたがったんだ。
無言を徹底していたんだなあ。
殺人事件については次のサイトに少し載っていました↓
一部引用します。
パリの芝居小屋が立ち並ぶ「犯罪大通り」に君臨したスターでした。
ある日、妻と一緒に出かけている最中、
一人の労働者がドビュローを見つけ、
本人だとわかると現実と舞台を混同して
弱虫ピエロを侮辱するようなことをしました。
ドビュローは耐えかねて、持っていた杖で一撃をくわえます。
当たり所が悪かったのか、
病院に運ばれた労働者はそのまま死んでしまいました。
裁判は当然無罪。観客はドビュローの復帰を望み、
ドビュローは再び舞台へ。
しかし、その事件はドビュローの心に刻み付けられ、
次第におかしくなっていきます。
映画「天井桟敷の人々」は、以前中学校の社会科教師の時に、
ナチスに占領されたフランスで作られた映画として
授業で話をした覚えがあります。
でも実際に映画は見ていません。
また見たい映画が増えました。
以上です。
少しずつ、ジャン・ドゥビュローの姿が見えてきました。
でもタイムアップ。
インターネットで調べたらすぐにいろいろわかる時代。
なかなか見えてこないという存在も大事だと思います。
この本が気になりました↓
地元の図書館にもありました。
この本を読んでみようかな。
図書館の年末年始の休みが終わるのが1月4日。
5日に行ってみよう。
最後に、涙を流すピエロの顔をジャケットにした
ケツメイシの映像をご覧ください。
http://www.hmv.co.jp/artist_ケツメイシ_000000000149414/item_涙_1880045
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