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2015年9月26日

2015年9月26日 (土)

思ったよりたくさん落ちていたギンナン

  

今日は9月26日。

  

ギンナンが落ち始めたのに気がついたのは、9月19日。

2009年に、ギンナン拾いをした街路樹です。

※参考:ここでも道草 クリ・ギンナン・マテバシイの収穫(2009年9月28日投稿)

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そうか、今ぐらいから落ちはじめるんだと再認識。

そうなると思い浮かぶのが、帰りの通勤路の傍らにある大きなイチョウ。

毎年たくさんのギンナンが落ちるけど、今はどうなっているだろう?

  

9月23日に意識して通りがかりに見てみました。

  

ビックリ!

たくさん落ちていました。

車をとめて、下車して写真撮影。

  

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↑この木です。

  

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さすがにこれだけあると、よく匂います。

久々ギンナンの臭い匂いです。

たまにはこの匂いもかいでおかないとね。

  

皆さん、ギンナンは今ですよ。

 

「沖縄戦全記録」からの聞き書き3/斬り込みとは?

 

今日は9月26日。

  

2015年6月14日に放映された

「NHKスペシャル 沖縄戦全記録」の「防衛召集」の部分を

聞き書きします。

  

ナレーター:住民の肉声を記録した1000本のテープ。

(1972年沖縄返還時に記録)

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最前線に送られたという防衛召集者の証言があった。

証言者「もう日が暮れてからですよ。」

     「斬り込みに出された。だいたい沖縄の人。」

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         「鉄砲もないですよ。竹やりと手りゅう弾くらい。」

     「爆破する時は、(爆弾を)抱いて行って、

      戦車の下に入ってから爆発させる。」

         「もう死にに行くわけさ。」

 

ナレーター:今回、防衛召集の実態を記した資料も新たに入手した。

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戦闘が激しくなる中、戦場で住民が次々に防衛召集され、

斬り込みを命じた例がいくつも確認された。

一度に40人近くが斬り込みを命じられていたことも記されていた。

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以上が「防衛召集」に関するところの聞き書きです。

「斬り込み」とは?

別の場面で説明していました。

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斬り込みとは、手製の爆弾などを抱えて、

敵に突っ込む捨て身の攻撃のことだそうです。

  

調べていて、次のサイトも勉強になりました↓

おしえて!ゲンさん 分かると楽しい!分かると恐い!沖縄戦 住民総動員

このサイトから引用です。

防衛召集された人たちについてこう書いています。

 

沖縄では規則に違反して13歳から70歳までが

根こそぎ召集されました。(規則では17歳から45歳までの男子)

病人も例外ではありませんでした。

陣地や飛行場の構築や弾薬運搬等の

後方支援が主とした仕事でしたが、

最後の方は槍と手榴弾2個を持っての夜間の斬り込みや、

爆雷を背負って戦車に体当たりするなど、

最前線で突撃まで命令されました。

  

  

戦争が始まってしまえば、何でもアリなのです。

「沖縄戦全記録」の中で、最も印象に残った「防衛召集」について

聞き書きしてみました。

「防衛召集」については、「英雄たちの選択 ”命どぅ宝” 沖縄県知事

島田叡(あきら)からの伝言」でも触れています。

後にまとめてみたいと思います。

  

同年代の人たちの死/どうしても生きたかった明日を生きる心構え

  

今日は9月26日。

  

昨日、川島なお美さん死去のニュース。

先日、病気治療でやせた姿をテレビで見ました。

復活を願っていましたが、叶いませんでした。

まだまだ闘病が続くと思っていたら、

こんなに早く亡くなってしまい、驚きました。

ただ手術は2014年の1月に行っており、

長い闘病生活をすで十分経た後の死去だったのでしょう。

お疲れ様でした。

ちょうど1年前、9月27日に香川伸之さんの死を知りました。

ほぼ同年代の人たちの死。人生まだまだこれから。

無念だったことでしょう。

  

以前「たった一人の熱狂(見城徹著/双葉社)

から引用した文です↓

  

アメリカ先住民に「君がなんとなく生きた今日は、

昨日死んで行った人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ」

というような言葉があるそうだ。

緊張感も切迫感もなく、ただのほほんと生きる。

そんな1日の時間に、しがみついてでも生きたいと思う人もいる。

この言葉は、僕の胸に強く共感する。  (168p)

ここでも道草 「たった一人の熱狂」から引用 その4/どうしても生きたかった大切な明日だ(2015年8月10日投稿)

  

同年代の人たちの死に触れると、

よりこの言葉が”ずしん”と来ます。

  

1日1日を大切にして生きていきたいと思います。

「沖縄戦全記録」からの聞き書き2/軍官民共生共死ノ一体化

  

今日は9月26日。

  

昨日のつづきで2015年6月14日に放映された

「NHKスペシャル 沖縄戦全記録」の「防衛召集」の部分を

聞き書きします。

  

ナレーター:「根こそぎ動員」とも呼ばれるこの方針。

背景にあったのは、大本営のある決定です。

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沖縄戦の半年前、大本営は第三十二軍から(沖縄)本島の

3つの師団のうち、1つをのぞき台湾の防衛に当たることを命じます。

深刻な兵力不足に陥った第三十二軍。

防衛召集によって兵力を補っていったのです。

※第三十二軍↓

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「軍官民共生共死ノ一体化」

沖縄全体で軍民の一体化が推し進められました。

  

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首里の防衛線があった場所に今も残る日本軍地下壕。

アメリカ軍の圧倒的な火力を避けるため、

地下に隠れて敵を待ち伏せする作戦をとりました。

こうした地下壕で軍民が混在する状況が生まれ、

住民の犠牲がさらにふくらんでいったのです。

  

 

防衛召集の実態を間近に見ていた元日本兵がいる。

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首里の防衛戦で戦った浜本俊則元上等兵。

部隊は9割以上が戦死した。

防衛召集者たちは、装備も不十分なまま

戦場に送り出されていたと言う。

 

浜本「軍事訓練だって知りませんよ。」

   「間に合うわけがない。その日から実戦ですから。」

   「そういう意味ではかわいそうだったよね。」

   「一番危ない仕事をしていたよね。」

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   「弾がいつ来るかわからない。そこへ出て行けばあぶない。」

   「出されれば危険にさらされるわけですよね。」

  

  

どのような危険な仕事をしていたのかは、

浜本元上等兵の話では語られていません(番組中では)。

でも防衛召集を実際に受けた人の証言テープとか資料によって

わかってきました。そのことは次の投稿で。

  

「共生共死」という言葉について。

「きょうせい」とうてば「共生」という言葉が出てきます。

「共生」は障害者も積極的に参加できる社会のことを

「共生社会」というように、今も生き残っている言葉です。

「きょうし」とうてば「共死」という言葉が出てくるのか?

出てきたらちょっと残念だと思いました。

死後になってほしい言葉だと思ったからです。

  

「きょうし」とうって変換。

「共死」はありませんでした。ホッとしました。

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