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2013年1月27日 (日)

「ヒストリア 天文」より4・・・渋川春海

 

今日は1月27日。

 

「ヒストリア 天文」の続編。1月15日の投稿のつづき。

番組「歴史秘話ヒストリア いつだって天文ゴールドイヤー

星々と日本人 はるかな物語」(昨年9月12日放映)からです。

 

映画「天地明察」のレンタルが始まるのが2月2日

迫ってきました。

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この「歴史秘話ヒストリア」でも渋川春海が扱われました。

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江戸時代のはじめ、日本では10種類もの暦が使われていて、

日付がバラバラでした。

なぜそんなに暦があったかというと、

大元の暦が不正確だったためです。

日本では宣明(せんみょう)暦という中国の暦を使っていました。

この暦が日本に来たのは平安時代。

800年の月日がたつ間に、誤差が積み重なり、

不正確になったというわけです。

人々は宣明暦を信用せずに、それぞれ独自の暦を作っていたので、

混乱が生じていました。

 

1667年、幕府は暦の統一に乗り出します。

その任についたのが渋川春海でした。

渋川春海が見つけ出したのが、400年前に中国で作られた授時(じゅじ)暦でした。

 

授時暦は、宣命暦よりもすぐれていましたが、

それでも日食の予想が外れてしまいました。(延宝3年5月1日)

RIMG2157  RIMG2158

春海は日食なしと予想しましたが、日食が起こってしまいました。

   

春海はなぜ外れたのか長く検討して(8年)、

やはり授時暦も中国の暦であるため、日食であることを外したと結論を出しました。

日本独自の暦をつくることが必要と考えて、暦づくりに取り組みました。

RIMG2159

 

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1863年、春海は暦を完成させました。

この暦は、日本の統一された暦に採用され、初の国産暦となりました。

 

春海が作った暦には、今に残る言葉も書かれていました。

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八十八夜(はちじゅうはちや)」

 

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二百十日(にひゃくとうか)」

 

今回書いたようなことが、映画「天地明察」で描かれているわけで、

楽しみです。2月2日と言えば来週の今日。もうすぐだ。

 

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