« 11月・日本ヶ塚山登山8/下山後に見た風景 | メイン | テレビで勉強「承久の乱」 »

2012年12月 9日 (日)

テレビで勉強「比企能員の乱」

 

今日は12月9日。

 

昨日は腰痛のため多くの時間、横になっていました。

しかし今朝になっても治らず・・・どころかさらに痛い。

靴下を履くのも難儀でした。

本当は9時からサークルに行く予定でしたが、不参加を伝えました。

明日は出勤なので、安静にしていようと思います。

 

昨日横になりながら見た番組について書いてみます。

2012年9月10日放映「BS歴史館 鎌倉ミステリー 北条一族の陰謀 史上最強のナンバー2

 

番組を見て新しく知ったことを書きます。

大河ドラマ「平清盛」で、源頼朝が挙兵したところが放映されましたが、

頼朝挙兵に大きく関わった北条氏の話でした。

鎌倉幕府が始まっても、北条氏が揺るぎない有力一族だったわけではなく、

北条氏はどうなるかわからない存在だったようです。

弱さを自覚した北条氏は、陰謀などによって他の有力一族を一つ一つ潰していきます。

中心は北条時政でした。

 

RIMG1897

「北条氏が滅ぼしたライバル」として上の画面のような武将が挙げられています。

梶原景時といえば、石橋山の戦いで、源頼朝や北条時政が潜んでいたのを救った武将。

それなのにやられてしまうのですね。

大河ドラマ「義経」(義経役は滝沢秀明)で、中尾彬さんが演じた梶原景時が印象に残っています)

 

畠山重忠は武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」と称された人。

怪力の人で、一の谷の戦いで義経に従い、

鵯越の逆落としでは、馬を損ねてはいけないと馬を担いで下りたという逸話のある人。

それなのに、それだからこそやられてしまったのでしょう。

 

番組では特に比企能員(ひきよしかず)について詳しく扱っていました。

RIMG1910

 

比企一族が有力になったのは、

2代将軍頼家に比企能員の娘が嫁いだためです。

RIMG1912

こんなルールがあるそうです↓

RIMG1911

外戚とは、母方の親族のこと。

頼家の子が将軍になれば、比企一族が北条氏にとって変わる可能性がありました。

娘が頼朝に嫁いだおかげで有力になった北条一族。

外戚から離れたら、また普通の一族に戻ってしまう、そんな弱い一族でした。

 

RIMG1913 バックの人物は北条時政

 

そこで北条時政は、頼家の力を奪い、実質弟の実朝が政治を行う体制にしてしまいます。

さらに謀反の疑いがあるとして比企一族を滅ぼします。頼家は暗殺されてしまいます。

時政は、孫である頼家を殺してしまったのです。

 

逆に比企能員も北条時政排除をくわだてていましたが、時政に敗れました。

 

 

鎌倉時代初期の危ない北条氏の立場がよくわかった話でした。(つづく)





 

 

 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/603251/31071651

テレビで勉強「比企能員の乱」を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_8523
  • Img_8520
  • Img_8519
  • Img_8518
  • Img_8522
  • Img_8521
  • Img_8517
  • Img_8512
  • Img_8510
  • Img_8508
  • Img_8507
  • Img_8504

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉