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2012年4月21日 (土)

「神奈川沖波裏」の現場はどこ?

  

今日は4月21日。再スタートして8日目。

    

前投稿のつづき。

      

北斎 富嶽三十六景の旅 天才絵師が描いた風景を歩く」(平凡社)を利用。

図工の授業で使った絵の1枚。

EPSON087「神奈川沖波裏」

この絵は、「神奈川」とあるので、「神奈川県」が浮かんでいました。

したがって、神奈川県の南、相模湾海上から富士山を見た構図と思っていました。

でも違うようです。

ここで言う「神奈川」は、現在の横浜市神奈川区付近のことであり、

これは千葉県の木更津市と、東京湾を挟んで対岸にあります。

これが現場の地図です。

EPSON089波の説明
   

神奈川と木更津を結んだ海上から富士山方面を見た構図というわけです。

最初にイメージした場所とは大きく違いました。

  

   

さらに・・・

葛飾北斎は「冨嶽三十六景」の中で2枚、地元愛知県の絵を描いていました。

ひとつはこれ。

Img663fb1178g7l1o「尾州不二見原」

この絵の現場は、名古屋市です。

比較的有名な絵です。

作りかけの大きな樽の中に富士山を配した構図が恰好いい。

もう1枚は、隣の豊橋市が現場でした。

EPSON088豊橋の絵「東海道吉田」

この絵の説明を引用します。

吉田宿は東海道34番目の宿場で現在の豊橋。

そこに「不二見茶屋」という看板を掛けるほど、富士の絶景が見られる茶屋があったのだろう。

旅の女の2人は縁台に座って富士を眺め、茶屋の娘の説明に耳を傾ける。

富士は窓枠で切り取られ一幅の掛軸のように美しい。

駕籠かきの1人は草履を木槌で叩いている。

「お茶つけ」の看板の下に「根元吉田ほくち」とあるが、これは元祖吉田火口(ほくち)の意。

火口とは火打石の火を移し取るもので、当地の名物だった。 (44p)

   

「吉田火口」に興味あり。また調べてみよう。

  

豊橋市のどこであるかは、よくわかっていない模様。

豊橋市には富士見台という場所があります。

そこは高台になっていて、とても見晴らしのいいところです。ここかな。

北斎がすぐ近くの絵を描いていたのがうれしかったです。




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コメント

お久しぶりです。

中学生になって、
まだ慣れてない事沢山で…
毎日疲れます。

あっ、そういえば、
保健委員になりました。

まだ本格的な事は、
やってないですが…
これから頑張ります!!

この記事の絵を小学生の時に
書いた事を思い出しました。

あの頃に戻りたいなー。
ってこの頃思います。

では、またコメントします。

なずなさんへ
葛飾北斎の波の絵は、図工でお馴染みでしょ。
今度のザ・ヒストリーは北斎のことをやります。
お薦めです。

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