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2012年1月 3日 (火)

上海上陸作戦その4・・・せっかく生き残ったのに

  

今日は1月3日。

昨日のCMで3月2日上映スタートの映画「戦火の馬」を見ました。

スピルバーグ監督の作品。

第一次世界大戦が舞台の映画です。

前投稿で、戦争に馬がかりだされたことを書きましたが、

この映画も同じ。戦争にかりだされた馬の話のようです。

たった一度のCMで、心をわしづかみにされた感じ。見に行きたい。

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前投稿のつづき

上海敵前上陸」(三好捷三著 図書文化社)より引用。

   

   

私たちが小宅の部落を歩いているとき、

敵の不発の追撃砲弾が半分土中にうずもれて、ななめになっているのを見つけた。

ちょうど昨日の攻撃中、私がいた場所であった。

不発であったのがさいわいして、私は命びろいをしたことになる。

あれが普通に爆発していたら、私をふくめて五、六人は死んでいただろうと思うと

ゾッとした。

私が村尾に、あれは危ないから危険の標識をつけないといけない、

といっているちょうどそのとき、一人の兵隊がその不発弾に近づいてきた。

私が、

「危ないぞ、さわるな!」

と叫ぶのと同時に、その兵隊は不発弾を足げにした。

その瞬間、不発弾は爆発し、兵隊の姿はなくなっていた。

一瞬にして雲散霧消してしまったのである。

せっかく昨日のはげしい戦闘を生き残ってきたというのに、

まったく何ということか。

戦場では一瞬たりとも気を抜くことは許されないのだ。

私は爆発の煙を目にしながら、慄然としてしばらく立ちつくしていた。(150p)

    

恐ろしい出来事です。

戦争とはこういうものだ、絶対してはならないと訴える機会があったら

思い出したい出来事です。

   

   

この上海戦での犠牲者の数を、各種の記録や私のじっさいの経験から推測すると、

日本側には約四、五万の犠牲者があったと思われる。(中略)

上海上陸の初期の部隊は、だいたい全滅に近い犠牲をはらって戦ったことはあきらかである。

その部隊の一員である私は戦いながら、これほどの犠牲をはらってまでも

上海をとらなければならない理由というのが、

どうしても理解できなかった。

この戦争の当初、私たちが教えられた戦争の目的は、

上海在留邦人の生命と財産の保護、ということであった。

ところがこの戦争では、すでに保護する日本人以上の犠牲をはらっていた。

現実に戦っている私には、この戦争のなりゆきなどはわからなかったが、

軍の目的は上海戦を捨て石として、全中国を制圧し、

ひいては東亜全部を支配しようとしていたことは明らかである。157p)

   

たった一つの命を、よくわからない目的のために使うなんて、

死んでいった人たちは本当に無念だったと思います。

本当は時間を惜しまず、本の文章を引用して、

多くの人に出来事を伝えるべきだと思えてきます。

しかし時間に余裕なし。あと1本の投稿に限ります。(つづく) 

 

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