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2011年12月3日

2011年12月 3日 (土)

山下工美さんに出会った映像 2008年

   

今日は12月3日。

最近、美術ネタが多いです。

そうなると思い出すのが、山下工美(くみ)さん。

最初に山下さんについて書いたのは、2008年2月21日。

「光と影の芸術・・・山下工美さん」html

その後、ちょくちょく書いてきました。

「3月30日にこの作品の前に立つ予定」html(2008年3月12日投稿)

「3月30日は増田修治先生の話を聞きに行きます」html(2008年3月16日投稿)

「山下工美さんの作品を東京の病院待合室で見た!」html(2008年4月1日投稿)

「なんばパークスタワーに山下工美さんの作品を見に行く」html(2008年7月21日投稿)

「山下工美さんの2009年の作品『椅子』」html(2009年8月30日投稿)

    

最初の出会いは、TV番組「奇跡体験!アンビリバボー」でした。

おそらくその日の番組と思われる映像を、youtubeで見つけました。

ここに載せます。

 

   

今のところ東京と大阪で作品を見ましたが、

また他の作品を生で見に行きたいです。

戦争画家ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン

   

今日は12月3日。

前投稿のつづき。

娘に歴史を教えていて、こんな絵画作品にも出会いました。

     

800PX-~1
「Wikipedia  ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン」B3

    

1877年~1878年の露土戦争の時の絵です。

描いたのは、ロシア人のヴァシーリー・ヴェレシチャーギン

絵のタイトルは「敗北。バニヒダ

多くの犠牲者を出した戦場での場面。

ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンは戦争に従軍して、戦争画を描いた画家でした。

その写実的な絵は、まだ写真が普及していなかった時代に、

戦場であったことを伝える大事な絵だったのではないでしょうか。

兄弟の戦死、自分自身の負傷もあって、平和主義の考えを持ちました。

   

この絵でしっかり魅かれました。

もっと作品を見てみたいです。

   

ヴァシーリー・ヴェレシチャーギンは、日露戦争に乗っていた戦艦が、

日本の機雷に触れて爆発し、その爆発に巻き込まれて死んでしまいます。

その死に方も含めて興味を持ちました。

      

 

100年前の空爆

  

今日は12月3日。

高校一年生の娘が歴史を教えてと言うので、手伝いました。

どこの歴史かと思ったら、第一次世界大戦前のバルカン半島をめぐる攻防の辺り。

これはなかなか難しい。

並行してパソコンで調べながら、娘に解説していきました。

   

その中で、新しく知ったことで興味を持ったのが1911~1912年の「伊土(いと)戦争」です。

イタリア帝国とオスマン帝国の戦いです。

この戦争でオスマン帝国が敗れたことで、

オスマン帝国の支配下から抜け出したばかりのバルカン諸国に勇気を与えました。

バルカン諸国は、同盟を組んでオスマン帝国と戦いを始めました。(第一次バルカン戦争)

バルカン諸国は勝利をおさめます。

  

ちょうど100年前のこの戦争の写真です。

Zeplin_orta

「Wikipedia 伊土戦争」89

   

写真は、イタリア陸軍航空隊の飛行船が、オスマン帝国に空から爆弾を落としているところ。

1911年10月23日。世界初の空爆と言われています。※「Wikipedia 世界初一覧」8B

    

一般人にも容赦しない、数々の悲劇を生んだ空爆も、まだ100年の歴史なんだと思いました。

2400本目の投稿・・・通夜に出席

   

今日は12月3日。

かつて一緒に勤め、その後息子の担任もしていただいた先生が、

11月30日に亡くなったと知らせがありました。

昨晩がお通夜。

55歳。病気と闘った末の死でした。

    

通夜の最後に流された奥さんの追悼の言葉の一部。

  

病をきっかけに、昨年学校から離れることとなり、

胸の内は悔しさでいっぱいだったことでしょう。

「病気とうまく付き合ってゆくから、大丈夫」

そう言って浮かべた笑顔には、

ただ私を安心させたいと願う”想い”だけが見えました。

下半身が動かなくなった後も

「車いすで教壇に立ちたい」と夢を語り、

寝たきりになっても「必ず克服するよ」と誓って、

最後まで明るい未来を信じさせてくれたこと、心から感謝しております。

   

活動的で、いつも動いておられた人でした。

どんどん頭が回転して、いろいろなことを思いつく人でした。

かたくななところもあり、反省会で議論したことがありました。

まだまだやりたいことがたくさんある人でした。

長期療養に入っていると聞いて心配し、

1年ほど前に、学校に来ていたよと息子に聞いて、ホッとしていました。

無念だったことでしょう。

   

ささやかですが、ブログに、先生の死を書いて残しておきたいと思いました。

 

 

 

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