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2011年10月15日

2011年10月15日 (土)

信玄砲/野田城址

   

今日は10月15日。

子どもたちが毎日出してくる自主勉強で、

私が勉強になることがあります。

   

信玄砲(しんげんほう)について調べてきた子がいました。

新城市の設楽原歴史資料館に行ってきて、

そこに信玄砲があったそうです。

元亀元年(1573年)、野田城で信玄を狙撃したとされる銃です。

「夜になると野田城から聞こえる名人村松芳休の奏でる笛の音に誘われ、武田信玄が撃たれた」

自主勉強のノートにはこう書かれていました。

    

本当でしょうか?

武田信玄は、1572年に将軍足利義昭からの信長討伐の命を受けて甲府を出発。

徳川家康を三方ケ原の戦いで破り、翌年1573年に三河に侵攻。

今の新城市にある野田城の戦い後、信玄は体調を崩して、甲府に引き返し始める。

その途中、信玄は亡くなる。  

    

このような歴史から、信玄が野田城付近で撃たれ、

その傷が原因で亡くなったという説があります。

そして、その信玄を撃ったのが、信玄砲というわけです。

    

    

野田城址。

その傍らにある国道を何度も走っているのに、

今まで一度も訪れていない史跡です。

遠くに住む信玄ファンから怒られそうです。

我が家から40分ほどで自動車で行けます。

なぜか行きそびれている史跡です。

    

次のブログを見たら行きたくなりました。

「愛知戦国史跡ナビゲーター みかわのひで/信玄が鉄砲で撃たれた場所はココだ!」html

     

信玄が撃たれたと言われているのは、

正確には野田城近くの、今は法性寺の境内。

「伝説 信玄が撃たれた場所」という看板があり。

見てみたいです。

実際に行ったら、このブログで報告します。

   

野田城の位置を地図で示します。

 

 

    

 

脱原発の映画・トークその3・・・劣化ウラン弾によるヒバクシャ

  

今日は10月15日。

このシリーズの3回目。前回は10月10日。

   

映画「六ケ所村ラプソディー」の監督鎌仲ひとみさんが、

放射能被曝について関心を持ったのは、1998年にイラクに行った時からだそうです。

当時のイラクは、湾岸戦争後~イラク戦争前の状況。

湾岸戦争でアメリカ軍が使った劣化ウラン弾からの放射線によって、

子どもたちが小児ガンで苦しんでいました。

なのに、イラクには抗がん剤がありませんでした。

正確に言うと、ありました。少量。

それはブラックマーケットで販売されていました。とても高額で。

しかし、イラクの親たちは子煩悩で、100万~200万円する薬を買って、

子どもたちに与えました。しかし、救われなかったことが多かったようです。

悲しい話です。

なぜ、抗がん剤を輸入しなかったか?

  

イラクに抗がん剤を送っても、兵器になると言ったへんな説があったそうです。

鎌仲さんは、子どもたちの悲惨な様子を撮影して、それを世界に示し、

世界の誤解を解いて、子どもたちを救いたいと親たちに言いました。

しかし、親たちは拒否。

「世界中からメディアが来て、撮影をしていったが、何も起こらない」

という答え。

鎌仲さんはそれでもお願いし、撮影して、日本に帰国。

NHKから依頼された番組だったのですが、番組作りは難航。

アメリカ軍が安全だと言っている劣化ウラン弾を批判する内容がチェックされたようです。

    

その時作られた番組が、「戦禍にみまわれた子供たち~湾岸戦争8年後のイラク」

見てみたい番組です。

 

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