堺空襲があった日/上から見る大仙古墳
今日は7月9日。
昭和20年の今日、和歌山が空襲され1200人の方が亡くなりました。
大阪府の堺市の人たちは、ラジオで、
「和歌山方面を攻撃した米軍機が南方洋上に退去しつつある」
といった内容の放送を聴いて、
市民の多くはほっとして眠りについたそうです。
しかし、10日の午前1時半から1時間半ほど堺市は空襲にさらされました。
焼夷弾は夕立のように「ザ―」という音を立てながら落下したそうです。
堺空襲のことでいろいろインターネットで調べてみました。
空襲の火災を逃れて、川に飛び込んだが、
川の水も煮詰まり、かつ炎も襲ってきた多くの方が亡くなったとありました。
特に龍神駅のガード下では、炎のために一度に多くの方が亡くなったそうです。
昭和20年になって、特にたくさんあった空襲。
こうやって一つの空襲を調べても、たくさんのサイトにつながり、
悲劇が語られていました。
昭和20年がどんな大変な年であったかがわかります。
※参考:「祖父の堺空襲の話」.html
映像も・・・・
私は「豊橋空襲」「豊川海軍工廠空襲」を調べていくことで、精一杯かな。
堺市にある大仙公園には、堺空襲などの死者、
堺市の戦没者らの鎮魂を祈念して1971年に平和の塔が建設されました。
http://tower.30maps.com/map/509
「大仙」と言えば、大仙古墳。
大仙公園の近くにあるそうですが、いつか行ってみたい古墳です。
大仙古墳に関して、こんな記事が先月ありました。
楽しみです。
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