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2011年1月12日

2011年1月12日 (水)

「よぎった」は漢字で書くと「過った」なんだ。

   

今日は1月12日。

前投稿・前々投稿で、本からの引用文をたくさんうちました。

人の文をうつのは、気づきがあって面白い。

自分なら漢字を使わないような字を漢字にしている時があります。

「頭を過った」という文がありました。

何と読むのかすぐにわかりませんでした。

「よぎった」?

調べたら、「よぎった」でした。

そうか、「よぎった」は漢字で書くと「過った」なんだ。

   

確かに「過」の漢字の意味からすると妥当な感じです。

(よぎる=通り過ぎる)

ああ、いい勉強になりました。

引用文をせっせとうつのはいい。

こんなおまけをいただけた。    

「教師のチカラ 2010年 秋号」より  その2

  

今日は1月12日。

前投稿に続いて「教師のチカラ 2010年 秋号」の引用。

   

セミナーなんていうのも、

自分の至らなさに気づくために参加するものだと思う」(40p 奈良県 土作彰先生)

   

セミナー(講座)に出ると、そう思う。

土作先生は、気づくことがまず大事で、気づけば次の手が打てると書いてありました。

その繰り返しだと思います。

ただ同じ気づくでも、セミナー(講座)で気がつくと、

次に打つ手は元気よくうてます。

    

    

勉強したことがちっとも活かせていないように感じる。

自分が勉強していることは、

無駄なのだろうか。

そんな思いが頭を過ったこともある。

しかし、先輩教師からある言葉を聞いたとき、

心のつかえが取れたように楽になった。

引き出しの中身を使えるようになるには経験が必要」(48p 東京都 久保覚子先生)

    

いいことを言う先輩だ。50に近づいてきて、確かにそうかもしれないと思っています。

私も言ってみたい台詞。

     

     

自己鍛錬の中心は、子どもに対する受け答え。

つまり、「返し」である。

問題が起こったとき、変な答えを出したとき、

どのような返しをするか。

子どもを伸ばすために、どのように対応したらいいか。

教師の力量が問われる。(中略)

瞬間に返さなければならない。

「絶妙な返し」ができたとき、子どもが伸びる。

この「瞬間芸」を磨くことが、何よりも自己鍛錬になる。

「瞬間的対応能力」をマスターしよう。(東京都 杉渕轍良先生)

    

ACCについて以前書いた。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2010/12/%EF%BC%91%EF%BC%92%E6%9C%88%EF%BC%92%EF%BC%96%E6%97%A5%E3%81%AB%E5%8B%89%E5%BC%B7%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%EF%BC%94.html

失敗は長期記憶に納められる。

たくさん失敗してきたことが、「返し」にけっこう役立っていると最近感じる。

やっぱり、失敗は恐れるな。自戒。

   

    

これがラストの引用。

   

子どもの行動、特に問題行動については、

その原因を追究するのではなく、

何のためにそのような行動をとるのかという

「目的論」の立場で考えるようにしています

これはアドラー心理学における子どもの見方です。

   

子どもの多くの問題行動は、

自分への関心を惹くためや教師の権力を崩すためと考えます。

ですから、問題行動に対して叱ったり怒ったりすることは、

子どもの欲求を満たすことになり、

適切な対応とはいえません。

   

むしろ、無視をして、教師が望む行動に対して

言葉をかけていくことにしています。(59p 神奈川県 西原健太郎先生)

      

なるほど~。

原因を考えがちですが、まずは目的ですね。

その後に原因。この順番は大事。

杉渕先生の言う「返し」のためにも。     

  

    

今頃読んだ「秋号」

もっと早く読んでおけばよかったと思いますが、

まだ10年以上あるんだから、遅くはない。

「教師のチカラ 2010年 秋号」より  その1

 

今日は1月12日。

昨日、「教師のチカラ №4」を本屋さんが届けてくれました。

その日に、ずっと積ん読(つんどく)してあった№3の

教師のチカラ 2010年 秋号」をやっと読みました。

    

そこからの引用です。

   

知識だけなら家でビデオを見てもいい。

なぜ学校に行くのか。

そこで様々な個性と出会い、

人を見ることで合わせ鏡的に自分が見えることを学ぶからだ。

「人は人と出会う中でしか学べないのだ」

ということが根本にあるから、

みんなが行く学校の存在意義がある。(5p フォトジャーナリスト 長倉洋海さん)

    

「人は人と出会う中でしか学べないのだ」はいい言葉です。

せっかく一つの教室に集まってくるメンバーを、

もっともっとかかわらせたいと思っています。

      

     

自ら学び、自ら考える楽しみを子どもに育むにはどうしたらよいか。

「自ら学べ、自ら考えよ」と繰り返しても効果はあるまい。

「自ら学び、自ら考える楽しさ、面白さ」を、

まずは教師自身が味わい、身につけることが前提である。

それを身を以って実感している教師のみにそれを語る資格がある。

経験を通して実感した言葉には力が籠るからだ。

そういう言葉には重みがあり、説得力が生まれる。

言葉に飾りや嘘がないからである。

これは教師自身の問題である。(9p 野口芳宏先生)

    

今の自分がちゃんと学ぼうとしているか、好奇心が錆びていないか。

このブログは、私の大事な修業の場になっています。

    

   

音読の基本は、追い読み。(13p 千葉県 糠塚淳一先生)

    

最近特にその認識。

教師はお手本になり、子どもたちに意欲を出させる読みをしなくてはならない。

教師の頑張りどころです。

    

     

次は引用が長い。

    

「チームが大きな力を生む」

(中略)

つながることで多くの成果を得る

たとえば国語の学習で、

「10分間で”さんずい”の漢字をたくさん見つけましょう」

などのように、

同じ”へん”の漢字を見つける活動を行う。

制限時間を設定し、できるだけ多く見つけることとする。(中略)

個人でもできる活動であるが、敢えて4~5人のチームで行う。

この学習を国語という教科で考えた場合、

私は次のようなことをねらう。

①既習漢字の定着及び、既習漢字を復習し、

”へん”という基準で整理・系統づける。

②辞典を早く正確に引く力をつける。

③わからないことをすぐに調べる力をつける。

しかし、それだけではチームで活動を行う意味がない。

教師が、チームで活動を行うことに明確なねらいを持たなければならない。

私は、子どもたちが人と適切につながることを意識する。

①共通の目的に向けて協力することの良さを味わわせる。

②自分の考えをわかりやすく述べる力をつける。

③相手の話を正しく聴く力をつける。

この活動を継続すると、教科の目標を達成しながら、

子どもたち同士が適切につながるようになる。

教師が「人の話は最後まで聴く」「自分の力で取り組む」

「失敗を笑わない」「友達がわからないことや間違いは教えてあげる」

などと、より具体的に指示する。

そうすることで、子どもたちは、

どうすれば人と上手にコミュニケーションをとれるのかを

実際に体験しながら学ぶのである。

さらに、この活動は

「にんべん」「ごんべん」など、

”へん”の数だけ活動が可能である。

「5画の漢字を探しましょう」

などの画数に着目したり、

「読み方が3種以上ある漢字を探しましょう」

と読みに着目したりもできる。

繰り返し、しつこいくらいに続けることによって子どもたちは、

適切なつながり方をみにつけていく。(22~23p 新潟県 畠山明大先生)

    

「個人でもできる活動であるが、敢えて4~5人のチームで行う。」

が肝要。教師が仕組んで子どもたちに力をつけさせたい。

引用をたくさんしたのは、具体例をこのブログに残したかったから。

    

次の投稿につづく。

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