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2008年12月30日

2008年12月30日 (火)

遥拝所/鑓水遥拝所の鳥居を寄進した人たちの話

終業式のあった24日の午後、本宮山に登り、

かつて鑓水遥拝所にあった鳥居をくぐりました。

その時に鳥居に彫り込まれた寄進者の3人の名前を見つけました。

そのことを以前投稿に書きました。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/12/post-7240.html

3人の名前は、

「大原治兵衛」

「天野英次郎」

「大原廣吉」です。

どういう人かな?当時の地区の有力者なのかなと思っていました。

しかし今、「大原」とか「天野」という苗字は残っていないなあと不思議でした。

    

先日、砥鹿神社から頂いた資料の中に、

「郷土のむかし話ーお蔵納めー」(平成2年発行/発行者・砥鹿神社/非売品)のコピーがありました。

そこにこの3人の話が載っていました。何と3人は親子でした。

治兵衛さんは、鳥居のできた付近の農家の次男坊でした。

治兵衛さんは少年の時に大志をいだいて江戸に出ます。

丁稚奉公(でっちぼうこう)に励んだ治兵衛さんは、働いてもらった銭を蓄えていきます。

借財がかさむと、御家人株を売る武士が出てきました。

治兵衛さんは、蓄えていたお金を投げうって御家人株を買い、

その家格と大原の姓を受け継ぎ、御家人大原治兵衛と名乗る武士になりました。

その後も武士として頑張った治兵衛さんは、大原家を立派にしました。

妻をめとり、二男一女に恵まれました。

長男は天野家に養子になり天野英次郎となりました。

二男が大原家をつぎ、大原廣吉となりました。

鳥居建立を思い立ったいきさつを引用します。

   

さて心願を抱いてひたすら励み続けてきた彼(治兵衛)もいつかいわゆる晩年となり、

己の人生を顧みる齢となった。

三河の草深い田舎から江戸を目指して乾坤一擲(けんこんいってき)、

冒険を覚悟の門出をして来たが、幸い諸縁吉祥に恵まれ努力の甲斐あって心願成就を果たすことができた、

これも常に心の支えに御加護を祈願し続けていた三河の山、本宮山の大神の御恵みである、

満願を記念して故郷の本宮山へ報恩の石鳥居を奉納して

晩年を全うしようと発願(ほつがん)したのであった。(88P)

   

その話を息子たちに話したら、2人の息子も喜んで協力することになったわけです。

鳥居に刻まれた3人の話を知り、

ただただ名前だけだったのが、ふくらみました。

こういうのがうれしい。

    

ずっと続けてきた遥拝所シリーズ。一度ここで切りにします。

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