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かつて本宮山遥拝所にあった鳥居などが頂上に移転しました。
終業式のあった日の午後、時間給をいただいて、
同僚の先生たちと3人で本宮山に登りました。
学期の終わりに、校区にある本宮山を登るのはすっかり恒例になっています。
今回は、移転した鳥居をよく見てくるという課題がありました。
何度も登っている本宮山、何度もくぐっている鳥居ですが、
今回はじっくり見てくることにしました。
789メートル。約1時間10分で頂上へ。
心地よい汗をかきました。
これが遥拝所から移転した鳥居です。
前は他のサイトの写真を転載しましたが、今回は自分が撮影した写真です。
この鳥居の足の裏側には字が彫り込んでありました。
「安政二乙卯年六月」と書いてありました。
またまた調べました。
「乙卯」は「きのと う」と読み、干支(えと)の52番目のもの。
安政二乙卯年は1855年です。
つまりこの鳥居は153年たったとても古いものと言えます。
鳥居は安政時代にできたという以前の調べと一致します。
http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/12/post-cee6.html
鳥居のもう一方の足には、
おそらく遥拝所を作った中心人物の名前が彫り込まれていました。
「大原治兵衛」
「天野英次郎」
「大原廣吉」
3人の名前が読み取れました。
本宮山遥拝所はいつ移転したのか?
なぜ移転せざるをえなかったのか?
疑問は残ります。
先日から新しく立った本宮山遥拝所にこだわっています。
この石柱の裏にはこう書いていありました。
「一宮中部土地区画整理事業に伴い旧亥子角一番地一より移転」
「平成二十年十月十日建之」
もともとは大きな道をはさんだ反対側に遥拝所はあり、
鳥居などがありました。
その鳥居などは昭和50年過ぎに、本宮山頂上に移転。
その後、遥拝所を示すものは残っていませんでしたが、
今年の10月にいきなり上の写真のような遥拝所の石柱が立ちました。
(今、鳥居などが正確にいつ、どのようにして頂上に移転されたのか調査中)
ちょっと気になるのが「建之」です。
※左は遥拝所の石柱の裏面。「建之」の文字があり。
これは意外に、いろいろな石柱、記念碑、お墓などに書かれています。
これは何と読むのか?
調べてみたところ、「これを建てる」「これを建つ」と読むようです。
漢文の読み方になっています。
いろいろな所に疑問は存在します。
一つ解決。