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2008年12月24日

2008年12月24日 (水)

「伊奈駅」には1番ホームがない!

最寄りの駅、名古屋鉄道本線「伊奈駅」で電車待ちをしていました。

ここで電車に乗ったのはもう40年以上。

しかし、今さら気づきました。

この駅には1番ホームがない!

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2番、3番、4番ホームの3ホーム。

1番ホームはなぜないのだろう。

2番ホームの向こう側、本当は1番ホームがあるべき所には柵があり、

その向こうには線路はありません。

1番ホームがない理由。

伊奈駅の歴史を調べないといけないなと思います。

またここに疑問が生まれました。

遥拝所/本宮山登山/移転した鳥居をくぐる

かつて本宮山遥拝所にあった鳥居などが頂上に移転しました。

    

終業式のあった日の午後、時間給をいただいて、

同僚の先生たちと3人で本宮山に登りました。

学期の終わりに、校区にある本宮山を登るのはすっかり恒例になっています。

今回は、移転した鳥居をよく見てくるという課題がありました。

何度も登っている本宮山、何度もくぐっている鳥居ですが、

今回はじっくり見てくることにしました。

    

789メートル。約1時間10分で頂上へ。

心地よい汗をかきました。

これが遥拝所から移転した鳥居です。

前は他のサイトの写真を転載しましたが、今回は自分が撮影した写真です。

Pc220011    

    

    

この鳥居の足の裏側には字が彫り込んでありました。

Pc220005    

    

    

「安政二乙卯年六月」と書いてありました。

またまた調べました。

「乙卯」は「きのと う」と読み、干支(えと)の52番目のもの。

安政二乙卯年は1855年です。

つまりこの鳥居は153年たったとても古いものと言えます。

鳥居は安政時代にできたという以前の調べと一致します。

http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/12/post-cee6.html

    

鳥居のもう一方の足には、

おそらく遥拝所を作った中心人物の名前が彫り込まれていました。

Pc220007    

    

    

    

  

「大原治兵衛」

「天野英次郎」

「大原廣吉」

3人の名前が読み取れました。

   

本宮山遥拝所はいつ移転したのか?

なぜ移転せざるをえなかったのか?

疑問は残ります。

遥拝所/「建立」ではなく「建之」でした

   Pc210004

   

    

        

先日から新しく立った本宮山遥拝所にこだわっています。

この石柱の裏にはこう書いていありました。

「一宮中部土地区画整理事業に伴い旧亥子角一番地一より移転」

「平成二十年十月十日建之

   

もともとは大きな道をはさんだ反対側に遥拝所はあり、

鳥居などがありました。

その鳥居などは昭和50年過ぎに、本宮山頂上に移転。

その後、遥拝所を示すものは残っていませんでしたが、

今年の10月にいきなり上の写真のような遥拝所の石柱が立ちました。

(今、鳥居などが正確にいつ、どのようにして頂上に移転されたのか調査中)

   

ちょっと気になるのが「建之」です。

「建立」ではなく「建之」です。Pc210008_2

   

    

※左は遥拝所の石柱の裏面。「建之」の文字があり。    

    

これは意外に、いろいろな石柱、記念碑、お墓などに書かれています。

これは何と読むのか?

    

調べてみたところ、「これを建てる」「これを建つ」と読むようです。

漢文の読み方になっています。

いろいろな所に疑問は存在します。

一つ解決。

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