東京大空襲と言問橋/豊橋空襲
3月10日に
「シリーズ激動の昭和 3月10日 東京大空襲 語られなかった33枚の真実」、
3月17日18日と「東京大空襲」と、
テレビで東京大空襲のドラマが放映されました。
これらのドラマを見て、
「言問橋(ことといばし)」が象徴的な場所として出てきました。
ウィキペディアには次のように書いてありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E5%95%8F%E6%A9%8B
1945年3月10日の東京大空襲の際には、
浅草方面の人が「川の向こうに行けば助かる」と思い言問橋を渡ろうとしたが、
反対の岸にいる住民も同じ事を考えており、
橋の上で合流してしまい、
身動きが取れなくなったところで橋の上にも炎が走り、
耐えかねた人々は次々と欄干から身を躍らせ、
死体で埋まった隅田川に落ちていったという。
空襲が終わったあと、隅田川は一面死体が浮き、
言問橋の上にも河川敷にも積み重なった累々たる死体の山が築かれていた。
1992年から実施された改修工事で切り出された
欄干の基部の縁石(色が黒ずんで変色している)が隅田公園に展示されている。
ただし、橋の親柱は、
一部未改修のため現在も東京大空襲で焼け出された人の脂の黒ズミが残っている。
上記の黒ズミは、番組の中でも筑紫哲也氏によって紹介されました。
これだけの年数が経っても消えない黒ズミは、
死んだ方の気持ち(苦しみ)を伝えているように思います。
言問橋で起こったことを、勉強したくなりました。
まずはこの本を注文しよう。
「写真版 東京大空襲の記録」(早乙女勝元著 新潮文庫)
忘れてはいけないのは、隣の豊橋市、豊川市でも大きな空襲があったこと。
豊橋は昭和20年の6月19日~20日。死者624人。まずは下を参考。
http://www.city.toyohashi.aichi.jp/koho/050615/th050615b.pdf#search='
これは「広報とよはし」(平成17年6月15日発行)の
「特集 60年前豊橋に空襲があった」です。
※2010年(平成22年)6月14日に
上記のアドレスから見ようとしましたが、見られませんでした)
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