近隣の町、御津町(1月15日に豊川市に合併)は海苔の養殖に関係の深い町です。
そのことを示す記念碑が、日本列島公園と呼ばれる公園の駐車場にあります。
7年ほど前に見に行ったことがあります。
「海苔の日」で、海苔への関心が久々高まったことで、
この記念碑を久々に見に行きたくなりました。
思い立ったが吉日。行ったのは今晩。もう暗い時。
海苔の養殖を飛躍的に発展させたものは、
海苔ジャーナルのHPhttp://www.j-nori.com/の「海苔養殖発展の技術」によると、
次の3つの技術。
①人工採苗
②海苔網の冷蔵保存
③浮き流し養殖
記念碑の写真を載せますが、なんと御津町の下佐脇というところは、
この3つの技術のうち2つまでも先駆的に行われた場所なのです。
※ただし、現在御津町は海苔の養殖は行われていません。
いい機会で、海苔についていろいろ調べてみました。海苔も奥が深い。
昨日の朝は寝坊。自動車通勤。水曜日でしたので、もちろんFM豊橋のスイッチオン。
渡辺欣生さんの話を聞きながらの出勤でした。やっぱり面白い話でした。
随時、駐車をしてはメモをしました。
昨日2月6日は「海苔の日」その話でした。
なぜ2月6日が海苔の日か?
大宝律令の中に、海苔が租税として納められていたという記述があったことによります。
大宝律令が制定されたのが、大宝2年1月1日で、
それを新暦になおすと702年の2月6日であったことから、2月6日が「海苔の日」になりました。(全国海苔貝類漁業協同組合連合会が定めました)
よっちゃんの話は続きます。
昔は海苔は限られた貴族のみが食べることができた貴重品。庶民は知りませんでした。
今のような紙状の海苔ではなく、ぬるっとした海苔でした。
したがって、かつては「ヌル」「ヌラ」と呼ばれていました。
「ヌル」「ヌラ」が転じて「ノリ」になって、「海苔」という漢字が当てられました。
徳川家康も海苔が好物で、家康にたくさん届けようということで、
天然ものの海苔だけでなく、養殖も始まったようです。
紙すきのやり方を真似て、紙状の海苔がつくられるようになったのは、江戸時代。
浅草海苔が始めで、江戸っ子の好物になっていきました。
江戸時代中期にはたくさん生産され、庶民にも海苔が行きとどくようになりました。
明治になって外国人が日本にやってきて驚いたそうです。
「日本人は、黒い紙を食べている!」と。
そんな話を聞きながらの出勤でした。
立春の2月4日に、1の2の国語は「はるのゆきだるま」に入りました。
立春の話をした後に、「春と聞いて思い浮かぶもの」を子どもたちに聞きました。
「つくし」「なのはな」「うめのはな」「せつぶん」「はるやすみ」
「たんぽぽ」「さくら」「ちょうちょ」「かふんしょう」と出てきました。確かに確かに。
「スポーツ」「やきゅう」・・・プロ野球のキャンプインのニュースがあったりしたので出てきたのでしょうか。なるほどと思いました。
「へび」「「とかげ」「やもり」「カエル」「ザリガニ」「くま」・・・このあたりが1の2らしい。生き物好きが多し。「くま」が身近な子はいないと思いますが。
「ひなまつり」「にゅうがくしき」「そつぎょうしき」「はるまつり」・・・春を感じる行事です。
「かい」「しおひがり」と意見が出て、「のり」というのも出てきました。
これには驚きました。「のり」も季節を表すもの。
今ぐらいが収穫の最盛期なのでは。厳寒の海での仕事というイメージがあります。
しかし今が春のはじめと考えれば、「のり」も春を表します。
そんなことを子どもは知っていたのでしょうか。
※2月6日は「海苔の日」次の投稿で書きます。
私は春といえば「ふきのとう」「タラの芽」が思い浮かびます。天ぷらがおいしい。
スーパーではすでに「ふきのとう」が出ていました。
この季節が来たかと思いました。近日中に、「ふきのとう」を採ったという投稿ができたらと思います。
立春過ぎてもまだまだ寒し。またさだまさしの日めくりからの引用。
「寒いですね」
会話の扉を開く鍵。
日本は“季節”という
会話の鍵に溢(あふ)れている。
1月30日に投稿して以来、漢字さがし<2>は、順調に提出されています。
現在1の2、22名中13名が届けてくれました。
今朝の掲示の様子は次のようです。
今日もいくつか届きましたが、午後から出張だったので掲示できませんでした。
漢字さがし<1>の漢字写真集めは全員参加は難しいのですが、今回の漢字さがしは誰でもできると思います。
全員参加を目指したい。
○ 1年生で習う漢字 80字
1かく 一
2かく 九 七 十 人 二 入 八 力
3かく 下 口 三 山 子 女 小 上 夕 千 川 大 土
4かく 円 王 火 月 犬 五 手 水 中 天 日 文 木 六
5かく 右 玉 左 四 出 正 生 石 田 白 本 目 立
6かく 気 休 糸 字 耳 先 早 竹 虫 年 百 名
7かく 花 貝 見 車 赤 足 村 男 町
8かく 雨 学 金 空 青 林
9かく 音 草
10かく 校
12かく 森
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「コメント力」を読みました。
印象的な文があちこちありました。そのうちの2つを引用。
欧米人にとって、人と同じであることは個性がないということであり、それは恥だという価値観がある。一方、日本では人と違いすぎるコメントをすると、気をてらっているとか、目立とうとしているとみなされ、あまり評価されなかった。
だから黙っているほうが得、という風土が作られてしまった。その結果、日本人の知的能力に比してコメントの質が低すぎる状況を生んでしまったのだ。
コメントをするには欧米人のようにある種の覚悟が必要だ。コメントを求められているときは、自分の見識やオリジナリティの深さを問われているということを肝に銘じる必要がある。
いい加減に、「いやあ、よかったですよ」と何となく感想をたれ流すような癖はやめたほうがいい。(14~15p)
映画を見た、本を読んだ、こんな体験をした・・・など、ブログでは何か感想を書きます。これもコメント力を磨く機会だなあと思います。
コメント力と教師は関係が深かったです。以下の文。
学校の先生は、まさに「コメント力」で勝負しなければならない職業である。生徒が日記を書きてきたら、先生がひと言コメントを書く。それだけで生徒がやる気になって、次の日も日記を書いてくる。つまりコメントが、次のエネルギーに変っていくのだ。
それには理由がある。コメントを書くのはかなりのエネルギーを使う。私も小論文の添削をやったことがあるが、ひとつひとつにコメントを書いていくのは相当重労働で、エネルギーを消耗した。しかし、そのエネルギーが、相手へのプレゼントになっている。コメントは単なる評価ではなく、その人へのメッセージになっているからだ。(235p)
今、私の書くコメントは、子どもたちにメッセージになっているかどうか?
いつの間にかジャストブログの機能が充実していて、
詳しく「アクセス解析」なるものができます。
1日何人ぐらいの方がどの投稿にアクセスしてくれたのかなどわかります。
昨日のアクセス数は異常でした。
大河ドラマ「篤姫」が放映されたころから、
1月27日の投稿「篤姫に想いを寄せる肝付尚五郎」
http://mitikusa.typepad.jp/blog/2008/01/post-cecf.htmlにすさまじいアクセス。
2008年になって平均60ほどだったアクセス数が、なんと昨日は414!
ドラマでは、肝付尚五郎が、篤姫のお父さんに、篤姫との結婚を申し込む場面がありました。
この男、何者ぞと思う人が多く、「肝付尚五郎」で検索して、
私のブログをのぞいてくれたと予想しています。いやあ、今朝はこの数を見て驚きました。
今朝といえば、この冬で一番寒さを感じました。
ハンドルを握る手は、手袋をしているのですが、
この冬初めて寒さで指先が痛かったです。
しかし朝日が出てくると、暖かくなってきます。
寒いけど、太陽が出ると暖かいんだという「太陽のぬくもり」を感じる季節です。
今日のさだまさしの日めくりの言葉は次のようです。
今日、立春ーー。
「もう春ですよ」と、
暦が励ましてくれる。
本当は、今が一番寒いのにね。
もう少し頑張ろう。
頑張ろう!
昨日の投稿で、韓国や台湾で旧正月をお祝いしていると書きました。
大事な国を忘れていました。中国です。
昨日のニュースで、中国製冷凍ギョーザによる中毒問題のために、中国から調査官?がやってきているとのこと。
旧正月の休みを返上して、仕事をするといったニュースでした。
そうそう、中国も旧正月を祝うんだよなと思い出しました。
2月7日の中国も注目です。
今日は予定では、長野県の雪山に登りに行く日でした。
大好きな山で、毎年登っている大川入山という山です。
しかし天気が悪く、断念。2月23日に延期です。
そんなわけで今日は、いつか読もうと思っていた本を2冊読みました。
2冊とも「長篠の戦い」に関する本です。
1冊は最近創刊された「新説 戦乱の日本史」の1巻目「長篠の戦い」です。
こういう本が出ると、それがいい機会になって、立ち止まって「長篠の戦い」の勉強ができます。(創刊号なので、580円のところが、なんと190円!)
以前から、勧められて借りていた下の本も読んでみました。
いくつかの関連HPものぞいてみました。
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徹底検証 長篠・設楽原の戦い 小林 芳春 吉川弘文館 2003-07 売り上げランキング : 250946 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「長篠の戦い」というのは、長篠城の攻防戦や、火縄銃の3段撃ち・馬防柵・武田の騎馬隊が有名な”設楽原の戦い”などの戦いをひとまとめにした呼称です。
でも私は、ずっと「長篠の戦い」は、設楽原の戦いをイメージしていました。
長篠の戦い=設楽原の戦いと考えていました。
長篠城の攻防戦はあまり眼中に入っていませんでした。
鳥居強右衛門の脱出、磔の話がわずかに長篠城の攻防戦の話として知っていたくらいです。
社会科教師になって、長篠城の攻防戦と、設楽原の戦いが区別されてきました。関連もわかってきました。
そうなると、「徹底検証 長篠・設楽原の戦い」の編著者の小林芳春さんが、昨年11月の朝日新聞の記事で次のように言ったことが、すとんと腑に落ちます。
「長篠の戦いは、長篠城の攻防戦などいくつもの戦いを総合しています。中でも火縄銃を使った戦いは、設楽原合戦だけです。だから、火縄銃が使われた戦いと言う場合、長篠の戦いではなく、『長篠・設楽原の戦い』と呼ぶのが正確です。歴史を正しく伝えるためにも、『長篠・設楽原の戦い』という呼び方を主張しています。新城市のホームページも最近、この呼び方に変わっています」
※新城市は長篠、設楽原がある市名です。
2冊の本では、ともに「設楽原の戦い」「長篠・設楽原の戦い」が使われていました。
「長篠の戦い=設楽原の戦い」の発想は、今の私からはなくなっています。
子どもたちに教える機会があった時は、そこのところちゃんと教えたいです。
短い手紙で有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」は、
徳川家康家臣の本田作左衛門重次が、設楽原の陣中で書いたものだと知りました。
このHPは参考になりました。写真を見て、まだ行っていない場所に行ってみたくなりました。
1時間もかからずに行ける場所なので、ぜひ近日中に。
2月3日の今晩、豆まきを我が家でもやりました。
昔はこの日が憂鬱でした。
窓を開け放って、大きな声で「鬼は外、福は内」と叫ばなければ、親は許してくれませんでした。
住宅街なので、恥ずかしかった。
今は小学生の娘と息子が代わりに叫んでくれます。
FM豊橋の2月1日の渡辺よっちゃんの話によると、豆まきのルールは次のよう。
豆まきは夜暗くなってからやる。
窓を必ず開けて、豆まきをして、すぐに閉める。
年の数か、それに1足した数の豆を食べる。
豆は必ず炒った豆を使う。
なぜ炒った豆を使うか。
昔、神様は鬼と賭けをしました。
一晩のうちに、石を百段積んだら、天下をやろうという賭け。
鬼は頑張って、99段まで積みました。
これはまずいと思った神様が、鶏の声を真似て鳴きました。
神様だけに、とても鳴き方がうまくて、他の本物の鶏もあわてて鳴きました。
鬼は、朝になてしまったと誤解し、神様に降参しました。
鬼は捨てぜりふで「豆の芽が出る頃にまた来るぞ」と言って退散しました。
そこで神様は人間に「豆は炒っとけよ」と指示したとのこと。
明日は1の2でも豆まきをします。
あらかじめ、「追い出したい鬼」を書きました。ここに書き並べます。
子どもたち、自分のことがよくわかっているなと感心しました。
「しゅくだいさぼるおに」「ゲームやりすぎおに」「あわてんぼうおに」
「おこりんぼうおに」「よそごとおに」「しょんぼりおに」「おそいおに」
「うそつきおに」「たべすぎおに」「いじわるおに」「さぼりおに」
「わがままおに」「なきむしおに」「ふざけおに」「だらしないおに」
「たのまれことをやらないおに」「おうちゃくおに」