2024年11月 4日 (月)

電子回覧板で、住宅街で育つアケビの写真を掲載

   

今日は令和6年11月4日。

  

今日は久々の本宮山登山の予定。

絶好の登山日和。

皆さん、山でお会いしましょう。

  

電子回覧板「結ネット」で、

「お宅の草花載せちゃいました」シリーズをやっています。

町内会を歩いて、庭にある気になった草花を写真に撮って

載せています。

庭に入って撮影するのは、不法侵入ですが、

道路からの撮影ならいいかなと思って、

どんどん撮っています。

本当は春から思いついており、やりたいと思っていましたが、

前例なきことなので、少し慎重になりました。

夏から始めましたが、撮影者にもいろいろ気づきがあって、

楽しいシリーズです。

    

最近、すごく驚いたのが、アケビです。

こんな平場の住宅街の庭で、アケビを見たのは貴重です。

Img_8254

10月22日の撮影です。

  

豊川市でも、山の方の勤務をしていた時に、

道端にあったアケビを食べていました。

毎年、同じところにできるので、

季節が巡ってくると、なっているかな?と

見に行っていました。

黒い種も出さずに飲み込んでいたので、

食後に、喉に辛みがしばらく残った覚えがあります。

でも道端にあるものを、美味しく食べる体験は、

魅力的でした。

  

旧音羽町のJA産直に行った時に、

アケビを見かけたので、購入しました。

Img_8642

Img_8644

Img_8646

Img_8647

奥さんは、種を出すのが面倒だと、1個しか食べず。

娘は、見かけにひき気味で、食べず。

写真のアケビのほとんどは、私が食べました。

もちろん種は出さずに。

久々にアケビを堪能。喉の辛みも味わいました。

  

ブログで「アケビ」を検索すると、

かつて記事にしたことがありました。

読んでみると、当時が思い出されます。

花はどんな花だったかなと思っていたら、

過去の自分は、写真付きで記事にしていました。

ここでも道草 3年ぶりに花がマイブーム/アケビ(2016年4月10日投稿)

この記事に載せた写真です。

Img_8255

Img_8256


これがアケビの花です。

覚えておいて、来年の4月には、町内会で撮影したいですね。

  

  


YouTube: あけびは外の皮が美味しい♥お薦めの食べ方


この動画によると、アケビの皮を天ぷらで食べるのは

美味しいそうです。

フキノトウの天ぷらが好きな人には、

お薦めとのこと。

はい、フキノトウの天ぷら大好きです。

Img_8257

すでに皮は捨ててしまったので、もったいなかったな。

まだ産直で売っていると思うので、実行するか。





  


  

2024年11月 3日 (日)

初めて見た!ホソバトビケラの幼虫

   

今日は令和6年11月3日。

  

前記事の続き。

東三河ふるさと公園で、初めての昆虫を見ました。

ハリガネムシを探していて、水中を進む虫を見つけました。

これです。


YouTube: 2024年11月3日 ハリガネムシを探していたら、他の虫を発見  ホソバトビケラの幼虫

不思議な生き物でしょ。

家に帰って調べて、ホソバトビケラの幼虫と判明しました。

もっと接眼レンズを使って迫って撮影してみました。


YouTube: 2024年11月3日 ホソバトビケラの幼虫 小さいのが大きいのにぶつかった


YouTube: 2024年11月3日 ホソバトビケラの幼虫 大きな個体が進む

Img_8243

  

まだ正体がわからなかったので、ちょっとドキドキしましたが、

手でつかんで、虫かごの中に入れました。

2匹採取です。

  

自宅に帰って、いろいろ調べました。

トビケラという虫の幼虫のようです。

そうか、こういう昆虫が、水の中に住む水生昆虫。

この水生昆虫が、体の中にハリガネムシを入れてしまいます。

その間、ハリガネムシは休眠状態。

トビケラは、成虫になって、羽根が生えて、

空を飛ぶんですね。

それをカマキリが食べます。

カマキリの体内に入って、休眠から覚めたハリガネムシは、

カマキリの体内で大きくなります。

   

家で、トビケラの入った飼育箱の上から電灯にかざして、

飼育箱の下から、映像を撮影しました。

シルエットではあるのですが、砂などで作られた巣で

上から見えにくくなっていた実物体が、見ることができました。

左手で飼育箱。右手で撮影だったから、ちょっと揺れますが、

お許しを。


YouTube: 2024年11月3日 トビゲラの幼虫と思われます おそらくホソバドビゲラ

Img_8250

飼育箱の下から撮ったものです。

Img_8250_2

黄色の線で囲んだのが、幼虫です。

砂とかで家を作り、その中で過ごすのですね。

  

いろいろな生き物がいるなあと思いました。

  

2匹目のハリガネムシを採取/2つ目のミノムシ(ミノ)を発見

   

今日は令和6年11月3日。

  

今日は朝から豊川市御油にある床屋さんへ。

そのついでに、同じく御油にある東三河ふるさと公園へ。

10月21日に、ハリガネムシを捕獲した場所です。

期間が空いたので、またハリガネムシがいないかなと思って、

出向きました。

  

いました。

前回と同じところで泳いでいました。

Img_8663

管理棟の前の、水溜りです。

Img_8664

  

欲張りな私は、さらにハリガネムシがいないか探しました。

結局、見つからなかったのですが、他の収穫がありました。

  

10月21日に見つけたミノムシ(ミノ)は、

無事に同じところにぶら下がっていました。

今回も接写レンズを使っての撮影。

Img_8661

  

他の場所でも、ミノムシ(ミノ)を見かけました。

今回のは、ちょっと作りが悪いです。

虫に喰われた葉っぱを材料にしたのかな。

Img_8668

肉食ヨコヅナサシガメが、周りにウロウロしていて、

よい環境ではないなと思いました。

ここは動画を撮りました。


YouTube: 2024年11月3日 木の凹んだところに群れるヨコヅナサシガメ


YouTube: 2024年11月3日 今年見つけた2つ目のミノムシ(ミノ) 中身が心配/周囲にはヨコヅナサシガメが徘徊します

  

ヨコヅナサシガメは、集団越冬をします。

そろそろ集まる時期なのでしょうか。 

2匹目のハリガネムシ採取と、

2つ目のミノムシ(ミノ)を発見しました。  

2024年11月 2日 (土)

ハリガネムシ飼育10日間が経過

   

今日は令和6年11月2日。

  

教師で飼っているハリガネムシのことです。

東三河ふるさと公園で、ハリガネムシを捕まえたのは、

10月21日のことでした。

10月22日に学校に持って行き、

水槽に入れて飼育スタート。

と、言っても、餌はあげていません。

寄生虫のハリガネムシの餌は、ネットで調べてもわかりません。

  

昆虫に詳しいYouTuberのおーちゃんが、

番組内で、「水の中に入れておけば、3〜4ヶ月は生きます」と

言っていました。本当かな?と思うところがあるので、

実際に飼育して、いつまで生きるのか確かめたいです。

  

10月22日の写真です。

Img_8126

Img_8127

濾過器まで稼働している立派な水槽で、

ハリガネムシには、過ごしてもらっています。

  

飼育していてわかったのは、

ずっと狭いカマキリのお腹の中にいたのだから、

こうやって水中に出たからには、

上の写真のように、体を伸ばしているんだろうなと

思っていました。

水中で蠢(うごめ)くハリガネムシといえば、

そういうイメージでした。

  

ところが違いました。

ハリガネムシは、極力丸まろうとします。

丸まってじっとしています。

その方が、エネルギーを使わなくて済むからでしょうか。

交尾の相手に出会うまで、エネルギーをできるだけ使わないように

しているのでしょうか。

  

朝、教室に入って、水槽を覗くと、

必ず丸まっています。

  

10月25日はこんな感じでした。

Img_8179

  

昨日の朝は素晴らしかった!

Img_8234

どこにいるかわかりますよね。

他の黒い線と間違えないでくださいね。

濾過器のホースに、きれいに巻き付いていました。

  

もしおーちゃんが言うように、3ヶ月以上生きたなら、

飼っているからこそ見られる姿を、

ハリガネムシは、まだまだ見せてくれると思います。

楽しみです。

  

通級学級の子どもたちは、ほとんどの子どもが

ハリガネムシに触れました。

今年度の通級学級の目標である

「とっておきの体験・知識を子どもに与える」のための

一つの手立てです。

本「ナポレオンと東條英機」③ 白人の女性の参政権も1946年に認められたんだ

   

今日は令和6年11月2日。

  

2回前の記事の続きで、

「ナポレオンと東條英機」(武田邦彦著/ベスト新書)

から引用していきます。

11月1日に、返さないといけなかった本なので、

付箋を貼ったところをコピーして、

引用して行くことにしました。

     

「自国語に翻訳する」という画期的な行動

このような特殊な日本社会がヨーロッパ文明と接したとき、他のアジ

ア諸国と違い、日本の有識者は積極的にヨーロッパの学問や文化を日

本語に翻訳する」いう画期的な行動に出ました。

ほとんどの国民は外国語を読めなかったのですから、日本の常識では

外国の書物を翻訳するのは当然だと思うでしょうが、当然と思うこと

自体が「日本人が特殊である」ということを証明しています。

日本以外のアジア諸国は、ヨーロッパの学問や文化を吸収するために、

英語やドイツ語を自国語に翻訳せず、そのまま外国語で読んでいまし

た。その理由は、国の支配層しか外国語を読めませんので、彼らが欧

米の学問や文化を独占しようとしていたからです。

日本以外の国で「国家」という意識が全然ないとも言えませんが、か

なり弱いのです。特に支配層は、「同じ同胞」というより、「国民(

庶民)は自分たちが豊かになるためのもの」という意識があり、技能

や知識を独占していました。

(86p)

  

翻訳をして多くの人に読んでもらいたいなんて、

当たり前のことのように思えますが、

そんな発想のない国もあったのですね。

  

七つの海を支配していたイギリスの海軍力は圧倒的でした。 清王朝と

の間に起こったアヘン戦争でも、戦闘が起こると清王朝の犠牲者が

2000人、イギリス軍は10人程度というぐらいの差があって、まとも

な戦闘とは言えないようなものでした。戦争の理由も今から考えると

とんでもないもので、「清王朝はイギリスが支那で販売している麻薬

のアヘンを禁止したからケシカラン!」というような理由でした。この

ような不当な戦争の理由はイギリス国内でも全員が賛成していたわけ

ではなく、特にアヘン戦争のときにはイギリスの代議士ウィリアム・

グラッドストンが国会で「醜悪な戦争」という演説をしています。

しかし、結局戦争が起こり、清王朝が敗北して、その結果麻薬のアヘ

ンを強制的に買わされ、支那の領土の一部がイギリスに割譲されると

いう酷いことが歴史的に起こっているのです。

日本で教えられる歴史では、白人が行ってきた醜悪なこと、暴虐行為

はほとんど伝えられていません。むしろ「イギリスは七つの海を支配

した」とやや輝かしいように伝えられますが、もちろん2000万人か

ら3000万人ぐらいしか人口がなかったイギリスが、数億人が住んで

いる「七つの海」を支配するには、暴虐の限りを尽くさないと支配で

きるものではなかったことも事実です。

イギリスの大きな植民地だったインドでは、有望なインドの若者が出

現するとイギリス軍が二列縦隊を作ってそのインドの若者の家に行っ

て、若者を引きずり出し、両手首を切り落とすということもありまし

た。インドに有望な若者が現れて、インドが発展し、インドの人たち

が「理由なくインドは植民地になって圧迫されている」ということを

知れば、反乱が起こり、数の力でイギリスが負けるのが予想されるか

らでした。

経済面でもイギリスは巧みな方法を用います。インドから輸入する香

料などを「ただ同然で買う」という悪辣(あくらつ)なことをしてい

ました。

当時インドの通貨はルピー、イギリスの通貨はポンドでしたが、イギ

リスはインドから香料などを輸入するとその代金としてポンドで支払

いをしていました。インド人はポンドを受け取っても国内で通用しま

せんし、当時はインド人が国外に出るということはほとんどなかった

ので、ポンドはまったく使い道がなく、その大半をイギリスのロンド

ンの銀行に預けました。

そして300年ほど経つと、イギリスはポンドの価値を切り下げます。

そうすると、たとえば100ルビーに対して1ポンドという比率だった

ものが、10ルピーで1ポンドに切り下げると、それまでインドが持っ

ていたポンドの貯金は実質的に10分の1になってしまいます。つまり、

イギリスは巧みな方法で植民地として圧迫したばかりか、インドの人

々をただ同然で働かさせたことになります。

(107〜109p)

   

有望なインドの若者が出現すると、両手首を切り落とす。

もちろん残酷なことですが、支配者にとっては、

先を見越しての有意義な手法だったのですね。

   

 

現代の社会では考えられないことが起こっていたのですが、そのほと

んどは闇に葬られています。アメリカでは一説に600万人と言われる

インディアンの虐殺が行われましたが、その大半はインディアンの持

っている土地を奪うためにインディアンを騙し、騙されたことに怒っ

て攻めてくるインディアンを逆襲して全滅させるというのが彼らの常

套手段でした(「インディアン」という用語は差別的だとして、現在

では主に「ネイティブ・アメリカン」と呼んでいますが、この新しい

用語も白人のアメリカ人が作ったものです。現在でもインディアンは

自分たちのことを「ネイティブ・アメリカン」ではなく「インディア

ン」と呼んでいますので、ここではそれによっています)。

また、アフリカから奴隷を連れて来るのも、「白人の秩序」から言え

ば何の問題もありませんでしたが、連れて来られる黒人側からみると

耐えられないことでした。奴隷船に乗ってアフリカに来たアメリカの

荒くれ男たちが、ライフルを片手にアフリカの西海岸に上陸し、男の

奴隷が必要だったら目についた家に押し入り、泣き叫ぶ家族を振り切

って男を拉致します。 女も同じでその家の男が抵抗したら即座にライ

フルで撃ち殺して女を連れ出すという方法だったのです。

さらに、アフリカからアメリカ大陸に奴隷を移送する奴隷船には「詰

めるだけ奴隷を積む」という方針でしたから、途中で嵐が来ると、満

載していた奴隷を「捨てる」という方法で沈没を免れていました。こ

のようなときに「殺して捨てる」のは手間がかかるので、20人ぐらい

の奴隷の手首を鎖でつなぎ、そのまま甲板から海に投げ捨てるという

殺害方法がとられました。

日本ではこのような歴史を知らない人が多いので、アメリカ人が偉そ

うなことを言うと、それをそのまま信じてしまう人がいるのですが、

アメリカ人を含めた白人 (人種的にはアーリア人と言ってよい)とい

う人たちは常に二面性があり、「まともなことを言うけれど、裏では

酷いことをする」というのが平気なのです。

(110〜111p)

   

アーリア人の残酷性は、知っておかなければならないと、

武田先生の話を聞いたり、読んだりすると思います。

ほぼ日本人しか知らない私は、それがどの人間にも当てはまると

思ってしまいますが、そうではないのですね。

  

  

明治時代に入り、日本は白人諸国と接するようになりましたが、日本

人は「白人の正体」がわかっていたわけではありません。日露戦争を

開始するときに明治天皇が、「よもの海  みなはらからと 思ふ世に

など風のたちさわぐらむ」と謳っておられますが、当時の日本人が相

手にしていた白人の国家というのは、そんな世界の人がみな「同胞」

というような意識を持つ人たちではなかったのです。

つまり、白人の秩序というのは、白人の男性だけが世界を支配して良

く(白人女性の参政権は第二次世界大戦後の1946年に認められている)、

その他の人は「意見を持つだけでも不適切で、まして白人男性に刃向

かうなどとんでもないことだ」という意識でした。

具体的には、「白人以外の国家は国家として認めない」というのが第

一原則で、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、ポルト

ガル、北欧などの西ヨーロッパの国がまずは優先、そこから少し離れ

たアメリカとロシアが同等の国という考えでした。

白人国家でもややアジアの血が入っている東ヨーロッパの国は、一段

下に見られていました。そのため東ヨーロッパは植民地をほとんど持

っていませんでしたが、植民地になるのは免れました。

(114〜115p)

  

白人の女性の参政権が、1946年に認められているのですね。

ビックリでした。もっと古い歴史があると思っていました。

それは「外国の方が進んでいるから」という先入観のためかな。

  

   

  

2024年11月 1日 (金)

たった2gの生き物トウキョウトガリネズミ

   

今日は令和6年11月1日。

  

さあ、11月。1年の中でも、やる気が出る月です。

気温がちょうどいいんですよね。

爽やかな空気が、やる気を出させてくれます。

  

最近、天秤ばかりを使った授業を始めています。

各種硬貨の重さを計ったり、

新500円玉の肉眼では見ることが難しい

細かい文字を解剖顕微鏡で見ています。

参考:ここでも道草 今は新500円玉を使った授業をやるタイミング(2023年9月13日投稿)

  

この授業で、2gがいかに軽いものなのか、

実感しています。

その2gの重さの生き物が、6月12日放映の「ダーウィンがきた!」で

登場し、注目しました。

トウキョウトガリネズミです。

  

このトウキョウトガリネズミ。

唾液に毒を含んでいて、噛まれた生き物は、

体が麻痺して動けなくなってしまいます。

そこで、トウキョウトガリネズミは、餌として食べます。

その時点では食べられなくても、

餌としての生き物は、麻痺している状態で死んでいません。

したがって、保存が効くというわけです。

「ダーウィンが来た!」では、バッタを噛むところが紹介されました。

その毒は、なんと蛇にも効きます。

次の動画は、蛇との戦いを映した動画です。


YouTube: ヘビよ、トガリネズミを侮るなかれ | ナショジオ

  

ヘビもトウキョウトガリネズミにも毒があります。

トウキョウトガリネズミの毒は蛇に通用するのかな。

そう思って見ました。

どうなったと思いますか。

よかったら見てみてください。

  

こんなトウキョウトガリネズミの赤ちゃんはもっと小さいよ。

この動画に注目。


YouTube: トウキョウトガリネズミ新生仔の成長記録:多摩動物公園


   

なぜ「トウキョウ」か?

所さんの目がテン!トウキョウトガリネズミは"間違いだらけ"の生き物!?

ここを読むと、トウキョウトガリネズミは、北海道に生息。

だから、本当は「ezo」と書くところを、

「edo」と書いてしまったために、江戸→東京となってしまったようです。

  


  

2024年10月31日 (木)

本「ナポレオンと東條英機」② ヨーロッパ史観だから「英雄」となる

   

今日は令和6年10月31日。

  

前記事の続きで、

「ナポレオンと東條英機」(武田邦彦著/ベスト新書)

から引用していきます。

  

  

日本の学校で教える世界の歴史は、ヨーロッパ人が作った歴史です。

これは歴史ばかりではなく、地理や社会、それに科学に至るまで“ヨ

ーロッパ中心”の用語や考え方でできています。

たとえば、日本の学校では地理の時間に「ヨーロッパ大陸」という

言葉を習いますが本著の第1章でも便宜的に使いましたが)、ヨーロ

ッパ地域が「大陸」であるはずはありません。世界地図を見るとす

ぐわかりますが、ヨーロッパはユーラシア大陸の西の端にあり、そ

の地域を地理的に表現するなら「ヨーロッパ半島」です。

でも「半島」を「大陸」と呼びたい気持ちもわからないではありま

せん。人間は常に自分が主人公で、神様は自分だけを重んじてくれ

ると思いたいものです。ヨーロッパ人の「自分中心主義」、それが

ルネッサンスで力をつけた15世紀の終わり頃に爆発し、世に「大航

海時代」と呼ばれる侵略時代を作ったのです。

(68p)

  

確かに、これもずっと違和感を持っていたことです。

「ヨーロッパ大陸」

本当に大陸なのか?

ユーラシア大陸の一部だよなあと。

  

  

もともと、ヨーロッパ人というのは4000年ほど前、カスピ海の北に

住んでいた遊牧民アーリア人が数回にわたって「民族移動」し、東西

に広く進出して形成されています。

最初はセム族という民族が住んでいた今の中東、つまりメソポタミア

地方に移動して、新しい国を作り、その後は戦争に戦争を繰り返すと

いう歴史でした。そのうち、東に行った人たちはインドまで到達し、

インドに土着で住んでいた人たちを追い出してインド西部まで移住し

ました。

一方、西へ移動し始めた人たちは、南はイタリア、北はドイツからス

ウェーデン、そして一部のケルト人と呼ばれる人たちがイギリスに渡

ったのです。

「インド・アーリア語族」とか「アーリア人」と呼ばれるこの人たち

はもともと遊牧的な生活をしていて、決まった土地がなく、原則的に

は「他人の土地を奪って住む」という性質を持っていました。

たとえば、バルカン半島に進出したときには、土着の人をどんどん追

い出し、それまでギリシャ地方に住んでいた人たちはたまらず地中海

に逃げ、それでも追ってくるので、キプロスからシリアまで移動しな

ければなりませんでした。

2015年にアメリカ、イギリス、フランス、ロシアによるシリアの空爆、

そしてその報復としてのパリの銃撃事件がありましたが、シリアの人

にとってみれば、数千年前からそんなことが繰り返されているのです。

つまり、カスピ海の北方に住んでいたアーリア人がギリシャに進出して、

そこに住んでいた人を追い出し、それに押し出されるような形で当時の

地中海にいた「海の民」がシリア地域に上陸して、 セム族と混血にな

ったのです。 それがシリア人です。

だから、今回の米英仏露の空爆はシリア人にとって数千年前の悪夢が

またやってきたという感じです。歴史的な知識がなく、パリの銃撃事

件のニュースを見るとシリアの人のほうが悪いように見えますが、そ

こには数千年の怨みがこもっているのです。

いずれにしても、アーリア人はアジアの日本などの海洋国家の民族と

違い「自分の国」や「自分の土地」はありませんし、「国境」もない

ので、自分たちが必要となったら、ともかく他人の土地を奪い、作物

や女を略奪するというのが「普通のこと」だったのです。

日本人は自分の国、自分の土地で、ほぼ単一民族でしたから、アーリ

ア人の行動はまったく理解できません。 彼らは、まず武力で相手を

たたきつぶすか、あるいは騙して奪い取ります。自分の土地がないの

で、相手を殺したり、土地を奪うのは「普通のこと、神の命令」とい

う感覚でしたから、「平和が尊い」などということは建前ではあって

も、本心ではありませんでした。

もし、平和が尊いということになると、土地もない、国もないのに指

をくわえて隣の国の繁栄を見ていなければならないのです。それは彼

らにとってはかえって理解できないことです。「正義のために剣を取

れ(自分たちの命のために剣を取れ)」というのはアーリア人の思想で

もあり、さらにはアーリア人に侵略された人たちの叫びでもあったの

です。

かくして3回にわたって拡大を続け、ついに19世紀には世界中のほと

んどがアーリア人の支配下に置かれました。

もっとも、今のヨーロッパ人はアーリア人なので、「アーリア人の侵

略」という言葉は使いません。だから日本のようにヨーロッパの歴史

が指導的な役割を果たしている国では、ヨーロッパ人の進出(侵略)は

「大航海」「発見」「文明化」などという名前を使い、アーリア人以

外の国の進出は「侵略」という用語を使います。

(68〜71p)

  

「大航海」「発見」は使われますよね。

これはヨーロッパ視点ですよね。

アーリア人視点とも言えますね。

  

  

アーリア人の侵略性、拡大の指向はその後も続き、マケドニアのアレ

キサンダー大王の東方とエジプト進出や、ローマのシーザーの時代の

世界帝国の建設などがありますが、いずれもその指導者が「極悪人」

と呼ばれずに「英雄」とされているのは、アーリア人歴史書を作った

からです。

自分が困ってもいないのに、少しでも良い生活をしたいと言って、

どんどん他人のところに進出して大量の人を殺害するのは、日本の道

徳観念から見ると英雄どころか、極悪人と言って良いでしょう。でも、

日本はヨーロッパ史観なので、日本の道徳にこれほど反しても「英雄」

として歴史で学びます。

(72p)

  

アレキサンダー大王、シーザー、英雄にしちゃっていますよね。

ヨーロッパ史観に染まっています。

こういうところを、先輩の理科の先生は、言うんだろうな。

社会科教師が読まないといけない本だと。

  

日本の学校で教える歴史で、北アメリカでのインディアンの虐殺、

中央アメリカと南アメリカのアステカ、インカ帝国での虐殺、アメ

リカ合衆国によるアフリカからの黒人奴隷の虐殺、イギリスによる

オーストラリアのアボリジニー(オーストラリア大陸の先住民)など

の虐殺を教えないのは、これもヨーロッパ史観によっているから

です。

いずれにしても、世界はまずスペイン、ポルトガルによって侵略さ

れ、植民地化されていきました。その後に続いたのがオランダ(イ

ンドネシアまで)、イギリス(カナダ、マダカスカル、インド、ビル

マ、オーストラリア、ニュージーランドなど七つの海を支配)でした。

そして19世紀の終わりにはベルリンで「アフリカ分割会議」が開か

れ、ドイツ、フランスを加えて、まったくアフリカの国家や部族に

相談せずにアフリカを「分割統治」してしまったのです。

また、ロシアはモスコーを中心としたアーリア人国家ですが、17

世紀から力をつけて東方に進出、ウラル山脈を越えて、伝統的にト

ルコ系民族やモンゴル系の人たちが住んでいたシベリアを渡り、

日本海まで進出します。また、南方にも何回も進出しようとします

が、トルコや、イギリス・フランスなどのアーリア人国家に阻まれ

て南方への進出は部分的なもので終わりました。

このような歴史を日本人で勉強している人が少ないので、後に20世

紀に日本が行った行為を「侵略」と言ったり、南京で戦闘中に死亡

した民間人を「虐殺」としていますが、これらのアーリア人の世界

制覇における侵略や虐殺に比べると、比較にならないほど小さく、

まったく次元の異なるものです。 でも、日本人の中にも白人崇拝に

凝り固まった人がいて、ヨーロッパ人が作り上げた「自分たちに有

利な歴史と用語」を使って日本の歴史教育が行われたことが、現在

の日本人の歴史観の分裂を招いています。 

(74〜75p)

 

でも、だいぶヨーロッパ史観から抜けてきたように思えますよ。

  

  

う〜ん、今晩はここまで。

明日の朝、頑張る。

頑張れるかな。  

 

本「ナポレオンと東條英機」① フランス国歌の作曲者は「一夜だけ天才」

   

今日は令和6年10月31日。

  

この本を読みました。

Img_8231

Amazon

「ナポレオンと東條英機」(武田邦彦著/ベスト新書)

  

サークルで、「社会科教師なら、この本を読まんといかん」と

先輩の理科の先生に言われました。

明日、図書館に返す本です。

どんどん引用します。

  

イギリスの「王室」と日本の「皇室」は大違い!

もう一つは、イギリスの「王室」と日本の「皇室」の違いです。

もともとのイギリスの王室は、イングランド、スコットランド、アイ

ルランドの王であったスチュアート朝です。 スチュアート朝の最後の

王様はアン女王です。彼女は子供をたくさん産んだのですが、すべて

早世して跡継ぎがいませんでした。

イギリスに適当な王位継承者がいなくなったので、当時の神聖ローマ

帝国、現在のドイツの有力な貴族だったハノーバー家のジョージ一世

がイギリスに来て即位し、現在のハノーバー朝となりました(その後、

イギリス流の名前が良いと言うことで「ウィンザー朝」と名前だけは

変わっています)。

王様が絶対的な権限を持つのではなく、王権が制限される「立憲君主

制」はイギリス発祥ですが、それはドイツから来たジョージ一世が英

語をほとんど話せなかったことによると言われています。言葉が通じ

ないので王としての統治ができず、その結果、議会が実権を握って、

立憲君主制が始まったというわけです。

一方、日本で天皇の跡継ぎがいないときに、大陸(たとえば朝鮮や支

那) から天皇がやって来るということは「日本の常識」で考えられる

でしょうか。そんなことはあり得ません。日本語を話せない外国の王

族が日本を統治するなど考えられないことでしょう。

天皇は「日本民族」を象徴する存在ですから、「日本の中の皇族」を

天皇に立てること以外はとうてい受け入れられないのです。

この二つの例からわかるように、世界の島の中で古くから「国」があ

ったのは日本とイギリスですが、実はイギリスは日本のように「一つ

の国」というよりも、西ヨーロッパという地域にある諸国の王室が支

配する「一つの地域」でした。

現在、「EU」と呼ばれるヨーロッパ共同体が生まれるのも、このよう

な歴史的背景があるからです。もともとヨーロッパ、特に西ヨーロッ

パの民族はアーリア人で、ドイツのゲルマン、イギリスのアングロ・

サクソン、そしてスウェーデンやノルウェーなどのノルマン系の人た

ちはほとんど同じ民族です。

(42〜43p)

  

イギリスで、立憲君主制が始まった経緯(いきさつ)が、

興味深いです。

いつもだと、ここでネット調べに入りますが、今回は省略です。

時間がないです。

  

  

「人間ではない人間」がいた?

フランス革命前夜は、現代の人から見ると、もう一つ理解できない

ことがあります。それは、フランス革命の前は「人が人ではなかっ

た」ということです。

当時のヨーロッパでは、人間は「高貴な人間」 「完全な人間」

「不完全な人間」 「人間ではない人間」の4つに分かれていました。

インドのカースト制度では、最上級のバラモンから最下級のシュー

ドラまで4つに分かれた人間がいて、どんなに出世してもそれを破

ることができないことが有名ですが、それはヨーロッパでも同じだ

ったのです。

「高貴な人間」の代表が王族と貴族で、社会の指導層として特別豊

かな生活をしていました。次は「完全な人間」で、「白人」 +

「男性」 + 「成人」 + 「社会的な義務を果たす」という4つの条

件が必要でした。簡単に言うと「独立した生活を営むことができる

成人の白人男性」ということです。

では、女性はどうだったのでしょうか。 失礼な話ですが、女性は

「不完全な人間」とされていて、単に「人」と言った場合、女性を

含まないのが普通でした。たとえば、フランスの人権宣言では「人

は生まれながらに平等」としていますが、この場合の「人」は「高

貴な人間」と「完全な人間」だけを示した単語が使われていて、

「不完全な人間」や「人間ではない人間」は含んでいません。

有色人種も「不完全な人間」、そしてアフリカから連れてきた奴隷

やロシアには農奴がいて、これらの人は「人間ではない人間」でし

た。

つまり、フランス革命の人権宣言は人類に「平等」をもたらしたと

されていますが、その実、平等は「成人の白人男性」だけに限られ

ていたのです。このことからも、現在の常識で歴史を考えてはいけ

ないことがよくわかります。

(48〜49p)  

  

「人は生まれながらに平等」の「人」についての解釈に驚きです。

  

  

このように、旧体制の抵抗と、新時代の力は衝突し、いつでも悲惨な

血が大量に流れました。フランス革命では他国との戦争ばかりではな

く、国内的にも「ギロチン」という新しい処刑装置が考案され、パリ

の広場で次々と首が跳ねられたのも、激しい社会変化の中での人間社

会の必然的な結果とも考えられます。

考えも及ばなかったブルボン家の王(ルイ十六世)と后(マリー・アン

トワネット)が断頭台の露と消えたのも、そんな人間社会の激しい変

化の結果でした。

歴史の流れとは実に不思議なもので、大きな社会の矛盾が一気に解消

に向かうと、そこで革命とか大戦争が起こり、それらはいったん始ま

ると止まるところを知りません。

最初は、ちょっと変わるだけと思っていても、矛盾が大きければ大き

いほど、徹底的な破壊にまで進みます。

フランス革命のきっかけは、「バスティーユ監獄の襲撃」という小さ

な事件でした。誰もが「王政をひっくり返そう」 「ギロチンで王族を

みな殺しにしよう」と思っていたわけではありません。 そのときの

体制のままで「ちょっと自分たちの待遇も良くしてほしい」というぐ

らいだったのです。それはちょうど、たき火をしていたら、折からの

強風と乾燥した空気で家に燃え移り、瞬く間に一つの町を焼き尽くす

大火になってしまったというのに似ています。

そして大火になった後、振り返ってみると、「なんであんなところで

たき火をしたのだろうか」「最初に家に火がついたときにもっと早く

消火すれば良かった」「あいつがバケツの水を持ってくるのが遅かっ

た」「風が強かったのだから町の人にもっと早く危険だと呼び掛ける

べきだった」などと反省しきりになります。

冷静に考えると、フランス革命もあれほど多くの人たちをギロチンに

かける必要があったのかは疑問です。

フランス革命は最後の段階でロベスピエールという過激な革命指導者

が登場し、次々と政敵をギロチンで粛正して革命を完成させます。今

考えると、ロベスピエールという人物の登場と、彼が行ったものすご

い数の処刑は非難されるべきものですが、同時に、彼は「歴史が必要

とした人間」でもあったのでしょう。

古いものを一掃し、新しい時代を拓くには、少し乱暴でも古いものを

徹底的に破壊してしまう人が登場し、その後に真に新しい社会を作る

段階に入るのです。

(56〜57p)

  

ロベスピエールは、「歴史が必要とした人間」

これについては、もっと勉強してみたいと思います。

    

  

フランス革命でも、新しい時代を作るために登場したのがナポレオ

ンです。そして、そのナポレオンの登場という人類の歴史の序幕を

演出したのが、後にフランス国歌になる「ラ・マルセイエーズ」を

作曲したルジェ・ド・リール大尉でした。

その時期、まだ革命は大きな流れにならず、国王ルイ十六世は生き

ていました。ですから、状況は流動的でした。外国との関係でも、

革命を阻止しようと干渉してきたオーストリア皇帝とプロイセン王

に対して宣戦布告され、フランスは挟撃されて危機に陥り、危機を

感じた市民は「自由の子よ、武器を取れ! 戦旗はひろげられた!」と

いう興奮の中に入ろうとしていました。

長い封建制の時代を破るエネルギーが次第に沸き返り、その熱気が

パリに集まっていました。今から見ると無計画に進んだフランス革

命は、時代の重みがパリ市民を駆り出し、その熱気はやがてルジェ

大尉が住んでいたパリ郊外のストラスブールの町にも伝わって来た

のです。

ストラスブールのディートリッヒ市長に軍歌の作曲を依頼されたル

ジェ大尉は机に座りながら、たまにしかしない作曲に取り組んでい

ました。戦争が始まり、進軍が開始されると軍歌の一つも必要だろ

う、それもこれまでのような傭兵が歌う古くさいものではなく、新

しい自由のもとで、市民の軍隊の前で演奏されるにふさわしい曲が

必要だと市長は考えたのです。

ルジェ大尉は趣味で曲を作ることはありましたが、専門の作曲家で

はありませんでした。軽い気持ちで市長の頼みを聞いたものの、現

実には詩も曲も沸いてこなかったのです。曲が浮かばない中で、螺

旋階段を上りながらルジェ大尉は、突然、フランスの畑が外国の軍

隊に踏みにじられて、肥料の代わりにフランス人の血が畑に注がれ、

農民が叫ぶ声が聞こえたと伝えられています。

行こう 祖国の子らよ

栄光のときは来た!

祖国への神聖な愛よ

みちびき支えよこらしめのわれらの腕を!

自由よ 最愛の自由よ

たたかえわれらのその守り手とともに!

突然、 沸いてきた感激の中で、 ルジェ大尉の手は動き続け、歴史的

な曲作りを終えたのは、夜明けを迎えた光がストラスブールの町を照

らし始めた頃でした。 ルジェ大尉は自分の体から興奮が消えて、その

まま深い眠りについたと伝承されています。

その日の夕方、市長の家で市長夫人同席の中で新しいこの行進曲が披

露されました。歴史的な多くの場面がそうであったように、その場に

居合わせた人々は、まさかこの曲が未来のフランスの国歌になるなど

誰も想像もしていませんでした。

「お集まりのみなさんは大変満足してくださいました」

記録に残っている市長夫人の手紙にはそう書いてあります。

不滅のメロディーが普通のほめ言葉でそのデビューを飾るのも、仕方

のないことです。そしてルジェ大尉の作曲したその歌はそのまま忘れ

去られ、軍歌として作られたのに、行軍のときに演奏されることもな

く、歴史の中に消え去ろうとしていました。

でも、これも歴史が証明するように、作品に宿っている本来的な力は

やがて目を覚ますもので、そのまま消え去ることはありませんでした。

しばらくすると、この歌は再びどこからともなく歌われ始め、新しい

歌「ラ・マルセイエーズ」は革命さなかのフランス全土に爆発的に拡

がっていきました。

「なんという素晴らしい、心を奪う歌なのか!」

不思議な力を秘めたこの歌は、瞬く間にフランスのあらゆる戦場で唱

われ、自由になった感激を味わいながら多くの兵士が死んで行ったの

です。

ところで、ルジェ大尉は一夜の作曲で大作曲家になりましたが、もと

もとはそれほど才能がある男ではなかったので、再び優れた曲を作曲

することはありませんでした。むしろルジェの晩年は、罪を犯して監

獄に入ったり、ナポレオンの誘いを断って毒づいたりという偏屈な老

人になり、片田舎でその一生を終わります。

なぜ、 ルジェが「一夜だけ天才」になったのでしょうか。 世界の歴

史の大転換点にあって、軍靴の響く夜に彼は霊感を受けたのでしょう。

歴史はナポレオンのような巨大な人物を作り出すばかりではなく、ル

ジェ大尉のような人を「一夜だけ天才」にさせたりもするのです。

日本でも幕末から明治維新にかけて、吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛、

勝海舟など多くの傑物を一気に生んだことを連想させます。

(58〜61p) 

  

有名なフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」には、

こんな話があったのですね。  

2024年10月30日 (水)

ドクダミをハサミで切ると、どうなるか?

   

今日は令和6年10月30日。

  

自宅の庭に生えてくるドクダミ対策にもなるし、

地元公園のアレチヌスビトハギ対策にもなりうる可能性のある

動画がありました。


YouTube: 目からうろこの雑草対策|ドクダミをハサミで切ると凄い事が起こった

  

Img_8200

Img_8203

手で抜くと、根に刺激が加わって、さらに発芽を促されるそうです。

大事なのは②です。  

Img_8204

  

ドクダミを意志がある動物と考えているようなところが

いいなあと思います。

こっそりカットすると、根に刺激が与えることないので、

発芽が促されないという説です。

  

Img_8205

Img_8206

Img_8207

Img_8208

Img_8209

Img_8210

Img_8211

Img_8212

Img_8214

Img_8215

Img_8216

Img_8217

Img_8522

Img_8528

Img_8524

Img_8526

Img_8538

Img_8507

Img_8508

Img_8509

Img_8513

Img_8514

Img_8515

Img_8517

Img_8519

  

2024年10月29日 (火)

午後5時過ぎの夕焼け/いいことは、突然起こる

   

今日は令和6年10月29日。

  

昨日,午後5時に家を出て、豊橋の心療内科に通院。

自動車です。

夕焼けが素晴らしかったです。

後続車がいないのを幸いに、

ほぼ自動車を停めての撮影。

 

秋はやっぱり夕焼けがきれいです。

Img_8186

Img_8632

交差点の真ん中付近での撮影。

お気に入りの1枚。

後で,もう一枚お気に入りがあります。

Img_8634

そしてもう1枚のお気に入りがこの写真。↓

Img_8635

  

まさかこんな素晴らしい景色が見られるなんて,

家を出発する時には,予想もしていませんでした。

いいことは,突然起こりますね。

幸運でした。

最近の写真

  • Img_8796
  • Img_8784
  • Img_8783
  • Img_8782
  • Img_8795
  • Img_8273
  • Img_8272
  • Img_8271_2
  • Img_6499_3
  • Img_8130
  • Img_7148
  • Img_7147

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉