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2026年3月5日

2026年3月 5日 (木)

子どもの「面白かったこと」をGeminiでイラスト化

    

今日は令和8年3月5日。

  

生成AIのGeminiを知ってから、やりたいと思うことが増えました。

その一つが、通級指導教室に来る子どもたちがするお話を

Geminiにイラストにしてもらい、それを教室に掲示することです。

3学期からスタートしました。

毎時間、子どもたちからは、前回の授業から今日までで、

「何か面白いことなかった?あったら話してください」と

聞いています。

「面白い」ことが大事です。

何を面白いと感じるかこちらも知りたいし、

自分が面白いと思うことを自覚し、

その面白いことを増やす生き方をしてほしいと思っています。

そのお話を視覚的にみられるようにしたのがイラストです。

一見、誰のか特定できないのもいいです。

今回もこのブログで紹介できます。

子どもたちの保護者にも見てもらうこともできます。

子どもたちが他の子どものイラストを見ることができるのも

プラスだと思います。

刺激になるはずです。

  

それでは作品紹介。

Img_7386

3学期からイラスト作りを始めたので、クリスマスネタがあります。

左列上から2番目。(以後は左2)

吉野家の牛丼をお父さんと食べた話。

お父さんの上着に「吉野家」が入ってびっくり。

Geminiは時々、いや頻繁に変な画像を作ります。

これも面白いとそのままにしました。

  

Img_7387

右1。飼っている亀が逃げようとした話でした。

本当は水槽の高さは、イラストの半分くらいでしたが、

どうしてもGeminiは言うことを聞いてくれなくて、

こんな高い水槽になりました。

  

Img_7388

左2。

熱が出て、友達が遊びにきても遊べなかった話。

窓のところに残念そうな友達をおいてくれたGeminiに感心。

中2。

「面白い」ことがなくて、今日はイラストができないねと

言っていた女の子。プチプチを楽しそうにやっているのを見て、

「今日のイラストはこれでいこう」「うんいいよ」と会話。

Geminiにたくさんプチプチをやっているようにしてほしいと言ったら、

こんなのを作ってくれました。ナイスです。

  

Img_7389

中2。 

靴下に穴があいていた子どもは、靴下を脱いで見せてくれました。

そのことをGeminiに知らせましたが、こんなイラストになりました。

こんなお行儀が悪い子ではないのですが、

こんなイラスト楽しいよねと本人の承諾を得て決定。

右2。

インフルエンザが流行した時のもの。

寝込んでいた男の子。

「布団と枕のカバーは星の模様だよ」と修正を依頼。

こだわりの星模様です。

右3。

その子は給食当番。

インフルエンザでたくさん休んでいて、

教室はスカスカ。いつもと違う教室の雰囲気が印象に残ったそうです。

  

Img_7390

左1。

家族が増えるので、大きな自動車を買うことになり、

お母さんとお店に行って車選び。なぜかGeminiは、

男の子が運転席に座っているイラストを提示。

実際には、運転席には座っていないけど、これで行くことに。

左2。

インフルエンザに罹った2年生の男の子。

いつもはお母さんと弟と3人で寝ていたのに、

その晩は2階に1人。寂しかったそうです。

中2。

ニホントカゲニ襲われて、口に咥えられた夢を見たそうです。

その通りにGeminiに依頼したら、咥えたイラストはできないとのこと。

その理由は、未成年がそんな目に遭う画像はできないというもの。

なるほどです。

  

Img_7391

左1。

授業中に鼻歌を歌っていた男の子。

聞いたら、お店「ドン・キホーテ」で流れる曲とのこと。

その話をイラスト化。

私はその曲がすぐに浮かばなかったのでここに動画を持ってきます。 


YouTube: ドン・キホーテ ♪ 曲


勤務校は2月に全校遠足で山登り。

その時のイラストが登場。

中2。

子どもたちが、「地獄の階段」と呼んでいる階段が

その山にはあります。

その階段を登るのが大変だった話をGeminiに話したら、

本当の地獄の中を歩くことに。

  

Img_7392

クリスマスのイラストで始まったイラストの掲示。

河津桜のお花見のイラストが出てきて、

季節の移り変わりがイラストで見ていてもわかります。

右2。

以前はアタックのシーンをイラストにした男の子。

今度は、ジャンピングフローターサーブをイラスト化。

社会体育でバレーボールをやっている希少価値の男の子。

イラストもその子じゃないとありえないもの。

  

右3。

教室で観察用に、たくさんのカマキリの卵嚢を、

1つに1本、ボトルに入れて置いてあります。

教室は風もなく、温かいためか、

3月3日に孵化して、たくさんの赤ちゃんが産まれていました。

それを発見した1年生の男の子と、

寒風の中、校庭に逃しました。

これが1週間で、最も面白いこととなり、イラストにしました。

  

  

以上です。

今年度は最後の授業まで、イラスト作りをします。

それらは今回のようにブログに載せて、

記録として残しておきたい。

  

Geminiのおかげで、未知のことができました。
   


  



  

20250126金勝アルプス① 「湖南アルプス」「金勝」を解明

  

今日は令和8年3月5日。

  

近日、湖南アルプスに仲間と一緒に登ってきます。

この機会に、昨年1月に登った山の記録をまとめたいです。

  

昨年の1月26日に登りました。

歩いたコースを地図に表してみました。

Img_7422

青い線で示したのが、歩いたコースです。ほぼ周回コースです。

   

駐車場です。午前7時54分の撮影です。

Img_7427

まだ駐車場にとまっている自動車はまばらでした。    

建物には立派な地図が掲示されていました。

Img_9854

この地図には「近江湖南アルプス」とあります。

近日登る予定の湖南アルプスには堂山などがあるのですが、

この地図には載っていません。

「湖南アルプス」の範囲について調べておこうと思います。

Geminiの回答は、私の予想と合致。

引用します。

  

結論から言うと、「琵琶湖の南側(大津市・栗東市周辺)に広がる、

花崗岩の奇岩や巨岩が連なる標高400〜600m前後の山々の総称」と

説明するのが一番しっくりきます。

地理的・ガイドブック的な分類では、主に以下の2つのエリア(山群)

に分けて呼ばれることが多いです。

1. 北側エリア:金勝(こんぜ)アルプス

昨年行かれたエリアです。

• 主な山・名所: 鶏冠山、竜王山、天狗岩など

• 特徴: 栗東市と大津市にまたがるエリアです。登山マップ等では

「金勝アルプス」として独立して紹介されるのが一般的ですが、広い

意味で「湖南アルプス」という大きな枠組みの中に含まれる(あるい

は別名として扱われる)こともよくあります。

2. 南側エリア:湖南アルプス(田上山地)

今回行かれる堂山があるエリアです。狭い意味(本来の呼称)での

「湖南アルプス」は、こちらを指すことが一般的です。

• 主な山: 堂山、太神山(たなかみやま)、笹間ヶ岳、矢筈ヶ岳など

• 特徴: 金勝アルプスから見て南側、瀬田川の東側に広がる大津市の

エリア(田上山地)に位置します。

人に説明する時のわかりやすいフレーズ

もし一緒に登る方やご友人に「どのあたり?」と聞かれたら、このよ

うに説明してみてはいかがでしょうか。

「琵琶湖の南側にある岩山のエリアだよ。去年行った天狗岩がある北

側の『金勝アルプス』と、今回行く堂山がある南側の『湖南アルプス』

に分かれているんだけど、全部まとめて『湖南アルプス』って呼ばれ

ることも多いんだ」

  

以上です。予想と合致したので、これ以上調べずにこれが結論です。 

昨年登ったのは、湖南アルプスではあるのですが、

金勝アルプスと言ってもいいのです。

それに伴って、今回の記事のシリーズは、

「20250126金勝アルプス」とします。

「金勝」は「こんぜ」と読みます。

これは読めません。難読地名。

語源を調べました。

山の会Rocky 2015年10月 金勝アルプス

このサイトから引用。

  

金勝を「こんぜ」と読むのは難しい。由来をネットで調べてみると、

昔、朝鮮半島から銅の採掘や、青銅の細工を生業とした一族、金勝

族が活躍していたことから名付けられたそうだ。また金青(きんし

ょう、又はこんぜと読む)、銅を打ち出せる山という意味らしい。

  

この説明でOKだと思いますが、この説の出典がわかりません。

遡れば、2007年のブログでも、この記述が使われています。

山好き的日々@京都北山 2007年4月15日 金勝アルプスを行く

  

少し付け足すと、

奈良東大寺の大仏の建立には多くの銅が必要であり、金勝族が活躍し

たと言われている。

という説明がありました。

 

原典を記した記事はありませんでした。

原典を見つけたいです。

  

原典についてGeminiに聞いてみました。予想以上にいい回答でした。

引用します。

  

ご指摘の通り、「金勝=朝鮮半島から渡来して銅を採掘した金勝族」

という説明は、金勝アルプスの由来としてネット上の登山ブログや

ハイキングマップで非常によく見かけますが、原典が明記されてい

ないことがほとんどです。

この「金勝族」と「青銅・渡来人」の由来説を広く一般のハイカー

や歴史ファンに定着させた大元の原典(発信源)は、随筆家・白洲

正子(しらす まさこ)さんの名著『かくれ里』(1971年刊行)で

あると言えます。

さらに、その歴史的背景を学術的に補強したものとして、民俗学者

・谷川健一(たにがわ けんいち)さんの著作『青銅の神の足跡』

(1979年刊行)などの影響も強く受けています。

具体的にどういうことか、その背景を紐解いていきましょう!

1. 原典としての白洲正子『かくれ里』

白洲正子さんは、日本各地のひっそりとした美しい歴史の里を歩き、

その魅力を綴ったエッセイ集『かくれ里』の中で、「金勝山をめぐ

って」という一編を執筆しています。

彼女はこのエッセイの中で、金勝アルプスの山中にある巨大な石仏

「狛坂磨崖仏(こまさかまがいぶつ)」などを訪ね歩き、以下のよ

うな歴史ロマンを展開しました。

• 金勝山の麓には「金勝族」という青銅を業とする集団(渡来人)

が住み着いていたのではないか。

• 奈良・東大寺の初代別当(大仏建立に尽力した僧)である良弁

(ろうべん)は、この金勝族を統率しており、大仏造立に大量の銅

が必要だったからこそ、この地の金属資源と技術集団が重要だった

のではないか。

2. 民俗学からの裏付け:谷川健一『青銅の神の足跡』

白洲正子さんのエッセイと並んでよく引用されるのが、民俗学の大

家である谷川健一さんの研究です。

彼は『青銅の神の足跡』や『白鳥伝説』などの著作で、古代の金属

採掘や鍛冶を行う集団の足跡を追い、「金勝(こんぜ)」という

読み方や地名、そして良弁僧正の伝説が、古代の鉱脈探しや金属精

錬を行う技術集団と深く結びついていることを指摘しました。

なぜ原典が消えてネットに溢れているのか?

白洲正子さんの『かくれ里』は、近江の歴史を愛する人々やハイカ

ーの間で「バイブル」のように読まれ続けてきました。

そのため、長年にわたり地元自治体の観光パンフレットや、ハイキ

ング同好会の案内文などが、金勝アルプスを紹介する際に「あの白

洲正子も書いている説」としてこぞって引用しました。

しかし、インターネットが普及しブログ等で個人が発信する時代に

なると、「白洲正子のエッセイに書かれている」という出典(ソー

ス)部分だけがスッポリと抜け落ちてしまい、「由来は金勝族とい

う渡来人集団らしい」という分かりやすい結論部分だけが独り歩き

しました。それが孫引きを繰り返され、あちこちの記事に定着して

しまった……というのが真相です。

  

なぜ原典が示されないかまで推理しているところがすごい。

さっそく図書館で白洲正子さんの「かくれ里」を見つけたので、

予約しました。

「金勝」に関する部分を読んで見たいと思います。

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楽餓鬼

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