« 2026年1月16日 | メイン | 2026年1月18日 »

2026年1月17日

2026年1月17日 (土)

佐奈川沿いを歩く④ 佐奈川の水が消えた場所はどこ? 

    

今日は令和8年1月17日。

  

前記事に引き続き、1月1日に佐奈川沿いを歩いたことを

書いていきます。

Img_5918

橋の上はこんな感じでした。

Img_5915

この橋も年季が入ってきたなと思いました。

何年にできたのかな?

ブログ「手当次第」であい橋

このサイトの写真を転載します。

Img_6411  

1993年3月が利用できた時かな。

まもなく33年となります。

  

Img_5919  

  

Img_5920

帯川のおかげで、佐奈川は水があります。

  

Img_5921

「佐奈川踏切」と書いてありました。

これは日本車輌の引き込み線の踏切。

頻繁には踏切が鳴ることはないんだよな。

踏切から日本車輌方向を見た写真。

Img_5923  

  

JR豊川駅に至る線路の写真。

Img_5922

写真に写っているのは、スギ薬局桜木店。

もちろんやってはいけないことだし、やりませんが、

この線路の上を歩いて、向こう岸まで行ってみたい魅力があります。

  

Img_5926

Img_5932

イオンが迫ってきました。

豊川市にはイオンが2つあります。

どう区別するのか。

新しくできたのが「イオンモール豊川」

(2022年4月オープン)

こちらのイオンは変遷があったようです。

開店は1998年9月22日。

その時の店名は「豊川サティ」

そうか、当時は「サティ」をいう店名をよく耳にしていました。

高校の近くに大きなショッピング店ができるのは心配だと

そんな声を耳にしたのを覚えています。

2011年3月1日に「イオン豊川店」になりました。

そして昨年2025年1月1日に「イオン豊川開運通店」となりました。

この店名になって1年なんですね。

  

授業で子どもとしゃべっていて、「イオンに行ってきた」と

聞くと「どっちのイオンにいったの?」と聞くことが多いです。

「昔からのイオン」「小さい方のイオン」「佐奈川の近くのイオン」

などと言ってましたが、正式名がわかったので、

これを子どもに教えよう。

  

 

ここは飛び石があって渡ることができそうです。

Img_5933

   

今度は名鉄豊川線の踏切からの撮影。

Img_5938

今回見えるスギ薬局は牛久保店。

  

さあ、どこで佐奈川の水がなくなるか。

海見橋では水は全くなかったので、それまでにどこかで水がなくなるはず。

それを見極めようと、川沿いを歩きました。

Img_5939

Img_5940

だいぶ水の量が減ってきました。

このまま自然に水がなくなっていくのかと思っていましたが、

水がなくなるのは突然でした。

この場所です。

Img_5941

Img_5942

南大通りと呼ばれる道の橋の下で、きれいに佐奈川の水はなくなっていました。

ここからは伏流水でしょうか。

ちょっと意外ななくなり方でした。

  

この橋の名前を調べました。

代田橋です。

  

ここからしばらく佐奈川は水無川となります。

  

Img_5943

全く水がなく、子どもたちが川床の石で遊んだりしていました。

4人いましたが、そのうちの1人を撮影。

  

そして年末に佐奈川が枯れているのを撮影した海見橋。

Img_5945

上流の方を撮影しました。

相変わらず水がない状態です。
  

海見橋の下を通過。

Img_5946

  

さらに進んで、ついに佐奈川に水を供給している支流を見ます。

Img_5949

写真の中の説明で「この橋」と言っている橋から、

その支流を撮影します。

Img_5950

春には桜が見事なところです。
  

流れ込んでいる側を撮影しました。

Img_5952

この支流のおかげで、佐奈川は再び水を得ます。

  

この支流とは?

監視カメラがあることがヒントになりそうです。

  

ところが、意外にもここで豊川海軍工廠が絡んできました。

海軍工廠の排水路として造られた水路が2本あり、

1本は白川へ、1本は佐奈川に流れるのです。

今回見た支流は、この排水路だったもののようです。

この支流の水が現在どこから来るのかは不明ですが、

支流を地図で遡っていくと、かつて海軍工廠があった場所に

行き着きます。

地図で示します。

Img_6414  

私は白川方面に流れる水路については知っていましたが、

佐奈川に流れる水路がもう1本あることを知りませんでした。

なるほどです。

  

いよいよゴールが近いです。

Img_5956

写真の草むらの中、左に降りていくと、

国道1号線の下をくぐることができます。
  

Img_5957

写真の上にあるのが国道1号線です。

橋の名前は「佐奈川橋」

  

手前の橋は、日頃よく通る旧東海道の道。

橋の名前は「佐奈橋」

Img_5959  

上流を見ると、この日(1月1日)は、佐奈川橋の下まで水がありました。

そこから水はなくなります。

振り返って、佐奈橋から上流を撮影したものです。

Img_5958

薄暗くて見えにくいですが、佐奈川に水は流れていません。

    

以上で佐奈川沿いを歩いた報告は終了です。

資源化施設から歩き出したのが14時18分。

佐奈橋から撮影したのが15時56分。

佐奈橋から佐奈川を離れて我が家まで30分ほど。

2時間余りの散歩でした。

でも面白かった。

まとめの地図です。

Img_6410

 

ロウバイも観察できたしね。

ここでも道草 佐奈川の河川敷で見たロウバイ(蝋梅)の花(2026年1月3日投稿)





  

  

  

  


 
  

  

 

  

  

佐奈川沿いを歩く③ 帯川と合流する「であい橋」

   

今日は令和8年1月17日。

  

前記事に引き続き、1月1日に歩いた佐奈川沿いを歩いたことを

書いていきます。

  

Img_5896

左に佐奈川が流れています。こんな道も歩きました。

  

Img_5897

ここはすっかり砂利です。

  

順調に佐奈川沿いを歩いていましたが、

目の前に予想外の「通行止めの看板」

Img_5900

大掛かりな工事をしていて、川沿いの堤防の上は歩けませんでした。

迂回しました。

工事区間が済んだところで、再び堤防に戻れました。

その堤防にあった看板の写真です。

Img_5902

この場所で佐奈川の上に橋をかけて新しい道を造る工事を

やっているようです。

Img_5903

ここに左右の橋が架かるようです。

  

その場所を地図で示します。

Img_6372_4

佐奈川に橋ができて、緑色の道ができます。

この道でどこにつながるのでしょうか。

気になります。

 

進みます。

Img_5904

Img_5907

Img_5908

Img_5909

「であい橋」と呼ばれる橋が見えてきました。

高速道路の下からここまで、佐奈川には水がありませんでした。

私が思った以上に佐奈川は水がないことを実感しました。
  

であい橋の下、川床を歩いてみます。

ここから下におります。

Img_5910

Img_5911

橋の下はやはり水がありません。

再び上に上がると、びっくりする光景に出合います。

Img_5912

豊富な水がある公園がありました。

ここは「ふれあい公園」と呼ばれる場所。

暑い日にはにぎやかになりそうです。

散々、水のない佐奈川を見てきたので、

「この水はどこから?」と思ってしまいます。

この「であい」橋は、2つの河川が合流する場所。

もう1本の川を撮影します。帯川です。

Img_5913

こちらには水がありました。

橋の上から見ると、合流点がわかります。

Img_5914

涸れている佐奈川に、帯川が合流することで、

佐奈川は水のある川になっています。

黄色の矢印のオブジェが気になります。

下りて、見に行きました。

Img_5916

Img_5917

このプレートに書かれた文章をAIにテキスト化してもらいました。

  

本野が原と佐奈川

大化の改新以前の東三河地方は「穂の国」といわれ、本宮山を「穂の山」

といいました。また、本宮山の麓(ふもと)に広がるこのあたり一帯は

「本野(ほんの)が原」と呼ばれるようになりました。

本野が原は、佐奈川、帯川、白川によって造られた扇状地で、雨はすぐ

地下にしみ込み、川の水が涸れる野原です。佐奈川の水は、千両(ちぎ

り)の赤根橋あたりまでは流れていますが、そこから地下にしみ込み、

やがて豊川の河岸段丘の下に湧き水となって現れます。しかし、一度大

雨が降ると、野水となって溢れ、近郷の村々に大被害を与えました。

  

赤根橋とは?

もしかしたら、豊川市資源化施設から歩き出して、最初に会った橋かな?

ストリートビューで、橋の欄干にある名前が読めないか挑戦。

う〜んだめでした。

Img_6408

また近くを通る時があるので、確認しよう。

  

プレートのテキスト化第2弾。

  

佐奈川の歴史(戦後の改修と桜)

愛知県は昭和二十五年ごろ、佐奈川と帯川を合流させる改修工事を

行いました。それ以来、この公園から下流は常に水をたたえた帯川

の水で潤うようになり、魚の姿を見ることができるようになりまし

た。

また佐奈川の両岸には、昭和三十年ごろ、豊川市と地元のみなさん

の協力により桜が植えられ、春にはすばらしい景色を見せてくれま

す。

  

次の疑問は、なぜ合流させたのかです。

またまたAIに聞いてみました。

今度はGoogle  Geminiを利用します。その回答です。

  

1. 深刻な水害(野水)への対策

プレート1にある通り、かつての佐奈川は本野ヶ原(扇状地)で水が

地下に染み込んでしまう「枯れ川」でしたが、大雨が降ると行き場を

失った水が「野水」となって溢れ出し、周囲の村々に甚大な被害を与

えていました。

帯川と合流させ、しっかりとした河道を整備することで、増水した水

を安全に海(三河湾)へと流す排水路としての機能を確保する必要が

ありました。

 

2. 「水枯れの川」の解消と環境改善

改修前の佐奈川は、通常時は水が干上がってしまう川でした。一方、

帯川は常に水をたたえた川でした。

昭和25年ごろの工事で両者を合流させたことにより、帯川の安定し

た水が佐奈川の下流部にも流れるようになりました。これにより:

一年中水がある状態になり、魚などの生物が住めるようになった

(プレート2に「魚の姿を見ることができるようになった」とあり

ます)。

水辺の環境が整い、後の昭和30年代に行われる桜の植樹など、地

域住民の憩いの場としての整備が可能になった。

  

う〜ん、納得していない場所があります。

「帯川と合流させ、しっかりとした河道を整備することで」

この部分。

河道を整備するために合流させたのが?です。

元々の帯川がどう流れていたのかわからないといけないですよね。

考えられるのは、2本の川を1本にした方が、工事は効率的に

なると考えられます。

真相はいかが?

  

でもね、いい出版物があるようです。

豊川市HP 図録「村絵図へのいざない」

Img_6409

この写真にあった説明文を引用します。

  

この図録は令和3年12月4日から令和4年1月16日まで、豊川市桜ヶ

丘ミュージアムで開催された企画展「村絵図へのいざない」に際し

て作成しました。

村絵図とは、村の様子を平面に表した地図のことで、村同士の裁判

の判決を残すものや、洪水などの災害がの被害状況を記録するため

など、様々な理由で作成されました。

こうした史料類は今でも村(現在の町内会等)で大切に保存され、

当時のこの地域の状況を知る上で貴重なものとなっています。

本図録では、市内を流れる二本の小河川(佐奈川・帯川)にスポッ

トを当て、関連する様々な絵図や地図を紹介します。

これらを通して、現在の豊川市の歴史や原風景の一端に触れ、地域

への理解を深めるきっかけとしていただくことができれば幸いです。

A4判、ページ数:48、価格:600円、刊行年月日:令和3年12月

  

この資料、手に入れたいですね。

今日にでも桜ヶ丘ミュージアムに行ってこようかな。

 

最後にまた書き込みを加えた地図を載せます。

Img_6372

最近の写真

  • Img_9795
  • Img_9794
  • Img_9792
  • Img_8338
  • Img_9761
  • Img_9745
  • Img_8337
  • Img_9744
  • Img_9743
  • Img_9724
  • Img_9723
  • Img_9800

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉