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2025年12月28日 (日)

佐賀藩(鍋島藩)の「電流丸」命名の理由

今日は令和7年12月28日。

  

前記事の中でサイトから引用した文章中に出てきた

船の名前が気になりました。

その部分を再引用します。

  

藩は大阪の蔵屋敷を通じて売る専売制をしき、安政4年(1857年)

にはオランダの帆船飛雲丸購入を十数億円相当のロウで支払い、翌

年にも木造艦電流丸をロウで購入しました。

  

「電流丸」なんて目立つ名前です。

江戸時代に「電流丸」なんて、なんでこんな名前?と

思うじゃないですか。

  

このサイトに「電流丸」の絵がありました。

徴古館 第7回 蒸気船入手の喜び

Img_5754

ハゼノキのロウによって手に入れた蒸気船です。

 

「電流丸」についてはWikipediaにも説明がありました。

Wikipedia 電流丸

このサイトによると、電流丸はオランダで造られた軍艦。

当初は「長崎」という名前でした。

それは上の絵の国旗や船名に表れています。

代価は7万両。

ただ名前がなぜ「電流丸」なのかは説明がありませんでした。

  

ChatGPTでは次のように説明してくれました。

  

蒸気船**電流丸(でんりゅうまる)**という名前は、当時としては

かなり象徴的で、「時代の最先端」を強く意識した命名だと考えら

れています。理由は一つではなく、いくつかの背景が重なっています。

① 「電流」は最先端科学の象徴だった

幕末の日本では、

電気 電信 電流

といった言葉は蘭学・西洋科学の最先端を代表する概念でした。

特に「電流」は

目に見えない力  動力や通信を生み出す不思議なエネルギー

として知識人や技術者の関心を集めていました。

**蒸気機関も同じく“目に見えない力で巨大な物を動かす技術”**で

あるため、

蒸気の力 = 電流の力

というイメージの重ね合わせがあったと考えられます。

② 佐賀藩の「科学技術志向」を示す名前

佐賀藩(鍋島藩)は幕末屈指の技術先進藩で、

反射炉の建設 大砲鋳造 蒸気船運用 電信・理化学実験

などを積極的に行っていました。

そのため「電流丸」という名前自体が、

『これは最先端科学の船である』

という宣言だったとも言えます。

  

困ってしまう。なるほどねと思える説明です。

本来なら出典を明示しなくてはいけないのに、

AIは出典にしてはまずいかな。

でもこの説明はいいのです。ここに載せたくなるレベルでした。

現代の「電流」の持つ意味と、当時では違ったのです。

最先端であることを意味する命名だったのですね。

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