80年前の6月10日 オラドゥール村での大虐殺
今日は令和6年6月10日。
6月10日というと、思い出すのは、
フランスのオラドゥール村の大虐殺です。
1944年のことです。ちょうど80年前。
この大虐殺のことを、チャンネル登録している
「大人の教養TV」で、現地に立って解説してくれています。
YouTube: 【ナチスに1日で消された村】オラドゥール村の大虐殺をわかりやすく解説
この動画の写真を並べていきます。
1944年6月10日。
オラドゥール村に、ドイツ軍約200人がやってきました。
住民に向かって、広場に集まるように指示しました。
住民たちは集まりますが、怪しいと思った人たちは、
村から抜け出ます。
当時のフランスは、ドイツの支配下にありました。
広場に集められた人たちは、2つに分けられました。
男性グループで、約200人。
女性・子どもグループで、約450人。
女性・子どもグループは、教会に連れて行かれ、閉じ込められます。
ドイツ軍は、最初に大きな箱を持ち込みました。
それは爆弾でした。
450人が密集した場所で爆発をさせたのです。
爆風とともに、爆弾は悲劇をもたらします。
爆発によって酸素が使われるので、教会内は酸欠となり、
窒息死を招いたのです。
爆弾を爆破した次に、ドイツ軍は、機関銃によって人々を撃ち始めます。
銃口は低く、人々の足を狙っていました。
動けなくするのが目的でした。
450人の中で、1人が生き残り、この時の惨状を後世に伝えています。
男性たちは6つのグループに分けられ、それぞれ倉庫に入れられます。
グループに分けたのは、男性の反撃を恐れたためと考えられます。
男性たちも機関銃で撃たれ、火を放たれます。
なぜオラドゥール村で大虐殺が行われたのか。
レジスタンスとは?
レジスタンスは、軍服を着ていなくいて、民間人と区別ができません。
オラドゥール村に、レジスタンスが潜伏しているという情報があり、
民間人と区別ができないために、虐殺が行われました。
赤ちゃんや高齢者まで殺されたのは、見せしめだったのです。
しかし、オラドゥール村はレジスタンスの拠点ではありませんでした。
焼かれてしまったために、身元が不明の死体が多かったのです。
戦後、大虐殺に関わったドイツ軍指揮官、兵士が裁判にかけられます。
しかし、約200人の兵士の多くが、後にあったノルマンディーの戦いなどに
従軍して命を落としていて、生存者は少なかったのです。
大虐殺の加害者にも、過酷な運命が待っていました。
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