20240429藤尾山登山⑥ ヒトツバ 不動滝
今日は令和6年5月5日。
中西山頂上。
滝頭山頂上。
ここから衣笠山に行くことも考えましたが、
また今度にしようと止めました。
なんとか石と名前はついていませんでしたが、気になったので撮影。
この分岐で、私は右を選んだのですが、しばらく歩いて、
これは違うなと思い、ここに戻ってきて、「恐竜の背」を選択しました。
恐竜の背からの景色。
この山々の尾根を左から右に歩いてきました。
恐竜の背を歩いていましが、道がないなあと思って、
別ルートを選んで下りました。
そうそう、恐竜の背に行く時に見た看板。
読めません。読めないと読みたくなります。
どなたか、読める人いませんか。
それか、かつて新しかった看板の写真がある人、いませんか。
ここで振り返ると、ここは分岐だとわかります。
「岩登りコース」「一般のコース」
恐竜の背を歩いてくるのが「岩登りコース」でしょう。
ちゃんと道はあったのでしょう。
ミツバ回廊を進みます。
テングの鼻。
仙人の腰掛け。
せっかくなので、ここでゆっくりしました。
慌ててばかりだった人生。
退職して3年目。ちょっとゆっくりした気持ちになってきたような。
ここに腰掛けて、見ることができる景色です。↓
懺悔(ざんげ)岩。
この懺悔岩でもしばらく座っていました。
その時の景色です。↓
滝頭公園が見えます。ゴール近し。
地面から葉っぱが生えている奇妙な状態。
これはびっくりのシダの仲間。
ヒトツバ。
名は体を表す、ですね。
不動滝。
滝の傍には、石仏がたくさんありました。
石仏は、しっかり自然に溶け込んでいます。
珍しい、剣だけの石仏。
滝頭不動尊。
「田原区制百周年記念 令和5年」
田原区制?
これはよくわかりません。
100年前の1923年に田原に何かあったのか調べても、
何もないようです。
そしてゴールの滝頭公園。
12時55分でした。
3時間40分ほど山の中にいました。
久しぶりの名前、滝頭公園・衣笠山・・・
成章高校の校歌には、「なつかしき 衣笠 蔵王 朝夕 その姿は 清らかに 」の歌詞があります。成章高校2年生は、この尾根縦走が恒例の遠足でした。まっあ、1967年頃の話しですが。今もやっているのかな。思い出の一つになっていますよ。
投稿: まこちゃん | 2024年5月 5日 (日) 20:41
今も成章高校の生徒が尾根の縦走をしていたら
“伝統“になっていますね。
縦走路は整備されていて快適でした。
いかがですか、また歩かれては。
距離は調整できます。
無理なく歩けると思います。
同行しますよ。
投稿: いっぱい道草 | 2024年5月 6日 (月) 15:34
はっはっはっ 水平か下るのみの生活をしています。滝頭の尾根まで、登りは大変な傾斜だった記憶があります。
投稿: まこちゃん | 2024年5月 6日 (月) 18:44
今頃のコメント。「田原区制百周年記念 令和5年」について。
現在の田原市は平成の大合併で市域が広くなっています。明治初期頃には、各集落がそれぞれ独立していて、区という地域がありその土地を管理していたそうです。私有地とは別に区有地が有り共同で管理していました。田原区もその一地域であり現在も区有林などを所有しているようです。
投稿: まこちゃん | 2024年5月14日 (火) 14:57
追加情報、田原市博物館の話から、明治になり、田原藩所領は、各地域で区を設立し固定資産(土地)を登記したそうです。
田原市には、「田原区」をはじめ複数の区が現在もあるそうです。
昨年が100周年ということは、大正12年になります。維新からは大夫過ぎていますね?
投稿: まこちゃん | 2024年5月14日 (火) 17:34
まこちゃんへ
田原区制に関する情報をありがとうございます。
区という制度は、田原独自のものなのでしょうか。
市町村とは異なる集合体に思えます。
昨年100周年で植樹をするのですから、
今も機能している区なんですよね。
町内会とも違うんでしょうね。
田原博物館に行かれたのですか。
お疲れ様です。
大正12年に何があったのか。
まだ謎ですね。
また情報をお願いします。
投稿: いっぱい道草 | 2024年5月15日 (水) 04:26