西尾市岩瀬文庫に行ってきました② いがまんじゅうと西三河
今日は令和6年3月6日。
2月24日の記事の続き。
岩瀬文庫でこんなポスターがありました。
西尾市を含む西三河では、桃の節句の時に、おひなさまに、
いがまんじゅうを供えるそうです。
それが当たり前になっているので、全国でもそうなのではと
西三河の人たちは思っていたそうです。
このポスターを見て、そうなんだと私は思いました。
東三河では、いがまんじゅうは当たり前ではないので。
本場、西尾市のいがまんじゅうを買って帰ることにしました。
岩瀬文庫の職員さんに、いがまんじゅうを売っているお店を
尋ねました。
ここらあたりのお菓子屋さんでは、どこでもいがまんじゅうは
売っていますよというお答え。さすが。
一番近い店「穂積屋」を教えてもらいました。
西尾市はお菓子屋さんが多くて、車で走っていたら、
お菓子屋さんを見かけると思いますよとも教えてもらいました。
穂積屋はすぐにわかりました。
そこで買ったいがまんじゅう。
近年、あんこ大好きになってきたので、
いがまんじゅうも美味しく食べることができました。
関心があるのは、いがまんじゅうの歴史です。
なぜ西三河にいがまんじゅうが根付いたか。
ネットで調べましたが、わかりませんでした。
わかったこと。
「いがまんじゅう」は全国にあるようですが、
ひな菓子として扱われているのは、愛知県の西三河だけだそうです。
「いがまんじゅう」で特に有名な場所は全国に2か所。
西三河と埼玉県です。
この2か所のいがまんじゅう、形・材料が違います。
意外に?農林水産省HPがよかったです。
ここから一部引用。
「いがまんじゅう」は、粒あんもしくはこしあんを、米粉で包み、表
面に着色したもち米をつけた菓子で、愛知県以外にも京都や九州にも
「いがまんじゅう」があるが、雛祭りの行事食として食べるのは西三
河地域独特の風習である。
「いがまんじゅう」の名の由来としては諸説あり、表面につけるもち
米が栗の“いが”に似ているというもの、家康の“伊賀越え”からきたと
いうもの、まんじゅうを蒸す時の“香り(飯の香:いいのか)”からき
ているという説などがある。(中略)
西三河地域では、現在でも雛祭りの時期になると食べられている。家
庭でつくる機会は減ったが、和菓子屋やスーパーマーケットなどで手
軽に購入できる。「いがまんじゅう」が店頭に並ぶと、雛祭りが近い
ことを実感する人も多いという。また給食のメニューに取り入れられ
ている。
お菓子屋さんでも、年がら年中売っているわけではないそうです。
この店では、1月12日に発売を開始したようです。
したがって、上に書いたように、店頭に並ぶと、
ひな祭りが近いとか、春がやってきたと感じる風物詩のようです。
次は埼玉県。
こんないがまんじゅうです。
文を引用します。
鴻巣市(旧川里町)が発祥と言われる「いがまんじゅう」は、埼玉県
北東部の主に穀倉地帯に古くから伝わるハレの日の郷土料理である。
多くの農家が裏作として小麦を栽培してきた地域では、「朝まんじゅ
うに昼うどん」という言葉が生まれるほど、うどんやまんじゅうなど
小麦粉料理が発達した。まんじゅうと赤飯を合わせて蒸した「いがま
んじゅう」は、甘じょっぱい味わいともっちりとした食感が意外にも
合い、一度食べたらやみつきになる。まんじゅうを覆うように赤飯を
まぶしてある様が、“栗のイガ”のような見た目であることから、いが
まんじゅうと名付けられた。「もち米が高価で、かさを増すために赤
飯の中にまんじゅうを入れた」「農家のお嫁さんが手間を省くため、
赤飯とまんじゅうを一緒にせいろに入れて蒸したらくっついてしまっ
た」など、由来については諸説ある。
赤飯にあんこ。
良さそうですよね。
動画でもいい資料はないか探しました。
この動画が良かった。
私が調べたものと同じような資料を、
この方は見たのではないでしょうか。
軽トラを運転しながら、カメラを見ずに、
ひたすらいがまんじゅうのことを話す動画です。
面白いシーンだなと思いました。
他の動画もどうなんだろうと思って見てみました。
やっぱり軽トラを運転しながらお話をする形でした。
面白い人です。
原稿なしなのかな。
フロントガラスに貼るわけにはいかないですよね。
焼肉が日本に伝わったのは戦後!
なぜ「〜苑」が多いのかがわかりました。
以上、いがまんじゅうの記事でした。
最後に、穂積堂のHPに美味しそうなお菓子が載っていました。
2月26日の記事です。
このどら焼き、おいしそうです。
コメント