遠藤未希さんのことを授業で伝えました
今日は令和6年3月11日。
13年前に東日本大震災があった日。
社会科の授業で教えました。
前記事の内容で授業をするつもりでしたが、
直前に変更しました。
きっかけは、当時のブログの記事を読んだことです。
ここでも道草 残したいニュース/遠藤未希さんの頑張り(2011年3月15日投稿)
ここでも道草 番組で遠藤未希さんのことが紹介される(2011年3月28日投稿)
ここでも道草 東日本大震災新聞スクラップ24/5月1日 遠藤未希さん発見(2011年5月3日投稿)
これらの記事です。
大震災の直後は、遠藤未希さんのことを書いているのに、
授業で今まで紹介したことがありませんでした。
すごいことをやった人なのに、
私は今まで教えてきた子どもたちに、
遠藤未希さんのことは伝えていませんでした。
今日は遠藤未希さんのことを伝える授業をしようと思い、
資料集めをして授業に臨みました。
13年前の宮城県南三陸町防災庁舎屋上の様子は
この動画の写真が鮮明に伝えています。
53人いたと思われる屋上。
庁舎は12メートルの高さがありましたが、
ここを襲った津波は16メートルでした。
津波が去った後に、流されずに生き残ったのは10人でした。
津波が迫ってくる中で、防災無線で避難を呼びかけていた
遠藤未希さんも、屋上に避難しましたが、津波にさらわれました。
この動画に説明をつけながら、見せました。
YouTube: 東日本大震災 宮城・南三陸町住民救った「高台に避難してください」遠藤未希さん
「高台に避難してください」の声の他に、
他の職員が「上へ上がって、未希ちゃん、上がって」と言う声が
入っています。
緊迫した状態だったことが伺えます。この動画でわかります。
YouTube: 命救った防災無線 遠藤未希さんの全音声見つかる
そしてこの動画を見つけました。
アニメ動画の職員は「ヒロミさん」となっていますが、
明らかに遠藤未希さんがモデルになっていると思います。
YouTube: 【3.11の実話】津波に呑まれるまで…アナウンスを繰り返していた“天使の声”と呼ばれた女性
2年前に作られていた映画。
小学生には、このような動画が伝わりやすい。
こんな人たちがいたんだよと伝えた授業でした。
家に帰ってから、遠藤未希さんのことを書いた記事を、
ネットで探して読んでみました。
「あずさ」に乗ってどこまでも⭐︎2023南三陸慰霊の旅 「天使の声」と言われた防災無線
ここには印象に残った言葉がありました。
津波が来る直前まで放送を続けていた未希さんも津波に飲み込まれ
てしまい、震災からおよそ1ヶ月半後に志津川湾で発見された。津
波襲来直前まで住民に避難を呼び掛け続けたことから、「天使の声」
と称賛され、公立学校の道徳の教科書にも掲載された。未希さんの
呼び掛けに救われた人が多かったのは事実だが、「美談」として取
り上げるのには違和感を感じてしまう。自分が職場で「震災絡みの
酷い発言」を受けてからは尚更そう考えるようになった。
職責を全うすることも大事だが、逃げて欲しかった。誰に何と言わ
れようが、生きていて欲しかった。未希さんのお母様・遠藤美恵子
さんの著書「虹の向こうの未希へ」でもそう書かれていた。
(中略)
「自分を犠牲にしてまで他人を助けた」というニュースが沢山流れた
から、私はあの「理不尽な発言」を受けることになったのだろうか?
職責を全うすることは確かに大事なことであるが、危険を冒してまで
しなければいけないことなのだろうか?危険から逃げることは人間と
して当たり前のことではないのか?生きていてはいけないのだろうか?
遠藤未希さんの一件は「美談」ではなく、「津波てんでんこ」の意味
を問い直すきっかけにしなければいけないと考える。
公立小学校の道徳の教科書に載ったのには驚きました。
でも、そうなれば、遠藤未希さんの功績は、
風化せずに残って行く可能性は増えたと思います。
いいことだと思います。
このかたの言うように「逃げることは人間として当たり前」の
ことです。自分が生き残れるところまでで、
切り上げるべきだったでしょう。
でも津波の威力が想定外だったのではないでしょうか。
屋上に上りさえすれば、助かると信じて、
ギリギリまで防災無線の放送をしていたと思います。
遠藤さんも生きたかったけど、それは叶いませんでした。
津波が来たら、とにかく逃げる!「津波てんでんこ」の
気持ちが行き渡っていなかったことを、
今回の大震災をきっかけにすべきと言うのは、
賛成です。
このブログの筆者の言う「理不尽な発言」については、
他の記事を見ましたが、説明がありませんでした。
とてもショックな言葉だったようですが、
諸事情で具体的に言えないと書いています。
13年ぶりに、遠藤未希さんの名前を記事に登場させることができ、
子どもたちにこのことを教えた日でした。
ちょっと風化し始めていたのをストップさせたと思っています。
コメント