3月11日 大震災から13年目 少しでも伝えたいです
今日は令和6年3月11日。
今日は13年前に東日本大震災があった日。
今日の社会科は、やっぱりこの大震災を、
子どもたちに伝えたい日です。
何があったのか。
自分の当日の話をしてみたい。
小学校の教室で、6年生と一緒に卒業アルバムを見ていました。
ぐわん、ぐわんと大きく揺れました。
そしてちょっとしてテレビをつけたら、
なめるように津波が地を這っていく、ヘリコプターの映像でした。
本当に起こっていることなのかと、
にわかに信じられない映像でした。
2011年3月11日のその日のニュースを見せて、
子どもたちに、同じ体験をさせたいと思います。
映像はあります。
YouTube: 【東日本大震災】2011年3月11日 14:46 - 22:54
最初のシーンで、3月11日午後2時46分の臨時ニュース。
緊迫感がありますが、こんなすごい災害になるとは、自分は、
きっとその時には思っていなかったと思います。
1時間3分52秒から、名取川を遡上する津波。
そして地面をなめるように這っていく津波の映像が見られます。
この時のヘリコプターで取材したのはNHK。
カメラマンは、鉾井喬さんです。
NHK HP 「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」
津波の撮影の様子を、次のように説明しています。
この映像を撮影したのは、当時入局1年目の鉾井喬だ。ヘリでの撮影
は研修を含めてこの日が4回目。4回といっても、実際に放送に使わ
れたのは、前日に撮影した海岸の不法投棄現場の映像が初めてだった。
NHKのヘリは緊急報道に備え、365日スタンバイしている。
東北地方は仙台放送局がカバーし、東北中の若手カメラマンが交代で
待機。3月11日は午前中にヘリの入れ替えがあり、午後は格納庫から
機体を半分出して、電波チェックを行っていた。
午後2時46分、東日本大震災が発生。
ちょうどカメラの操作練習のため、鉾井がヘリの座席に座っていた時
だった。ヘリのローターが地面に接触するかと思うほどの大きな横揺
れ。整備士に機体から引っ張り出されて外に出ると、慌ててカメラを
持って周囲の撮影を始めた。
ヘリの格納庫のシャッターが落ちている。格納庫内に入っていたヘリ
は、揺れによって機体同士が接触。すぐに飛び立てるような状況では
なかった。NHKのヘリは、たまたま格納庫の外に出ていたため助かっ
た。
すぐにフライトしなければ。
整備士がヘリの状況を点検すると、なんとか飛ぶことができそうだっ
た。携帯電話はすでにつながらない状態になっていて、頼りは無線だ
けだ。
地震によって停電が発生、滑走路は閉鎖状態になっていた。
パイロット「JA62NHの離陸許可を願います」
運航情報官「ランウェイクローズです。離陸は認められません。管制
官もタワーから避難しています」
なかなか飛び立てない状況が続く。そんなとき無線で、誰かが呼びか
けてきているのに気づいた。避難していた管制官が、手持ちの無線機
を使ってヘリと交信してくれたのだ。
パイロット「JA62NHです。離陸許可を願います」
管制官「了解。自身の判断で離陸してください」
シャッターが壊れて、格納庫から出れないヘリコプターがある中、
NHKのヘリコプターは出動することができました。
管制官の離陸許可も得ることができました。
あの津波映像は、このような事情があって、見ることができたのです。
話はまだ続きます。
午後3時10分、ヘリは仙台空港を離陸。地震発生から20分余り経過し
ていた。その時、飛び立てなければ、NHKのヘリも津波に巻き込まれ
ていたかもしれない。
仙台局からの指示を受けてヘリが最初に向かったのは、仙台市の中心
部だった。
鉾井にとって、巨大地震のイメージといえば、阪神・淡路大震災だっ
た。高速道路の橋桁がなぎ倒され、至る所で火災が起きる都市型の大
災害。緊張でカメラのコントローラーを握る手に、汗がにじむ。焦る
気持ちに気づいたのか、「落ち着いていこう」と、局にいるデスクが
無線で声をかけてきた。
上空からだと、市中心部では家屋の倒壊や火災などは確認できない。
車の流れもスムーズに見える。
「地震の規模の割には大丈夫かもしれない」
そんなことも頭をよぎった。(中略)
海の様子はどうなっているのか。雪雲が切れている仙台空港近くの海
岸線なら出られそうだ。名取川に沿って海へと向かう。
気仙沼市や岩手県の釜石市では、港に津波が来ている様子がNHKの固
定カメラで確認されたらしい。局内からは、
「津波が来るかも知れない。カメラを川に向けろ」
と指示が出ていた。
この映像は、テレビで生中継されているに違いない。
川を遡上しているあれが、津波なのか。それを追うようにカメラで追
っていると、前方のパイロットと整備士が叫んでいる。
「海、海、海。もっと左、左、左」
津波は道路や車、家を次々に飲み込んでいき、燃えたまま流されてい
る家もあった。地面からのぼった土ぼこりは空まで届き、黒くなって
いる。まるで地獄のような光景で、頭の中で理解が追いつかない。
「極めて危険な状態なのですぐに避難することが必要です」
「近くに高台がなければ、コンクリートの建物のなるべく上層階に逃
げてください」
映像を生中継していたテレビでは、アナウンサーや記者が、避難を呼
びかけ続けていた。
撮影していた鉾井は、冷静だった。あまりにも現実離れしていて、ま
るで映画のように感じたからだという。津波が押し流している車や家
には、多くの人がいるに違いない。人が巻き込まれる瞬間などが生中
継で映り込むことがないよう、画面のアップを極力避けるよう意識し
た。
起きていることを正確に記録しなければ。とにかく撮るこ
とだけで精いっぱいで、他のことを考える余裕はなかった。
撮影で精いっぱいだったが、ヘリを降りると、今まで撮影してきた光
景が現実なのだという実感が、一気に湧いてきた。
たまたまヘリの練習をしていて、機体も外に出ていたため、ヘリは飛
び立つことができた。もし格納庫に入ったままだったら、空港周辺の
取材に出ていたかもしれない。津波に巻き込まれていた可能性もある。
ヘリが飛べたおかげで助かった。
そして自分は、惨事が起きているなかで、空の上という一番安全な場
所にいた。罪悪感のような複雑な気持ちがこみ上げ、消えなくなった。
1人でも多くの人に助かって欲しい。やりきれなかった。
2011年10月18日。
鉾井の姿は、優れた報道に贈られる日本新聞協会賞の授賞式の会場に
あった。
受賞理由は「地震直後に飛び立ったヘリコプターから押し寄せる大津
波をリアルタイムで全世界に中継し、大津波の恐ろしさや被害が拡大
する様子を伝え、住民の避難や救助活動につなげた」ということ。
乗り気ではなかった。たまたまヘリ当番で居合わせただけで受賞する
ことに、違和感があった。自分じゃない人が受賞すればいいのにとさ
え思った。辞退することも頭をよぎったが、自分の功績ではなく、パ
イロットや局内のデスクを含め、365日体制で行うNHKヘリの緊急報
道体制に対しての賞だと思うことにした。
「あの現場を撮ったことに対して、誇りを持て」と言われた
こともあった。撮った映像は貴重だと感じるが、そういう風
に思うことはできなかった。自分の成果ではない。逆に、ヘ
リのおかげで自分の命が助かっただけだというのが正直な気
持ちだった。
鉾井さんは、数年後、NHKを退職しています。
あの津波の映像を撮ったカメラマンは、
現在、映像作家、大学の非常勤講師を務めています。
津波の訴状状況を示した地図を掲載します。
浸水範囲は5km。
あの津波の勢いは、もっと進んでいると思いました。
なめるような津波の映像に続いて、
時間があったら、私が今まで繰り返して見させてきた映像。
油断してはいけない。
津波はあっという間にやってきて、その威力はすごいことを
示す映像です。
YouTube: 宮古の大津波(4)(2011-03-11 岩手県宮古市・市庁舎付近)
今朝のニュースで、東日本大震災の行方不明者が2520人と
言っていました。
13年経っても見つからない人がいます。
津波がさらっていったのか、地面に埋もれてしまったのか。
行方不明になった娘さんを、
避難先の長野県から通って探していた木村紀夫さんのお話。
こういう人もいることを伝えたいです。
YouTube: 【NNNドキュメント】11年捜し続けた父… 津波で犠牲になった娘との再会 東日本大震災と福島第一原発事故 NNNセレクション
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