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2024年1月 3日 (水)

羽田空港での衝突事故/海上保安庁の飛行機は大震災の生き残りだった

   

今日は令和6年1月3日。

  

1月2日の羽田空港での事故。

衝突したのが日本航空A350と

海上保安庁MA722と思われます。

A350はエアバス社の航空機。

Img_3546

乗り物ニュース

同型機です。2021年に導入した新鋭機です。

そして海上保安庁のMA722。

Img_3547

船舶ニュース

これが衝突したと見られている飛行機。

5人の方が亡くなったのは痛ましい。

重症の方が生き延びることを願います。

  

なぜ海上保安庁の飛行機が羽田空港を使ったのか。

疑問でした。

自衛隊のように、専門の空港があるのかと思っていました。

でも船舶ニュースを見てわかりました。

またこのサイトからも勉強ができました。

第三管区海上保安部HP

海上保安庁には第三管区海上保安本部というのがあります。

日本の領海の安全を監視しています。

その海上保安部の基地が2つ、羽田空港に設置されています。

羽田航空基地と羽田特殊救難基地です。

羽田航空基地について、第三管区海上保安部HPより

引用します。

  

羽田航空基地は、領海は元より排他的経済水域や1000海里を超える

救難海域等々、空からの監視海域は拡大の一途をたどっており、所属

航空機7機を効率的に運用し、海上保安業務遂行に当たっています。

  

羽田空港が基地だったのです。

羽田空港を民間機と供用していたのです。

だから羽田空港から離陸しようとしていたのです。

所属航空機7機のうちの1機が、MA722だったのです。

このMA722については、東日本大震災との関係があった

飛行機でした。

船舶ニュースから引用します。この引用文では、MA722を、

JA722Aとしています。

  

「JA722A」は、2009年に海上保安庁に導入された機体で、2011年の

東日本大震災の際は、定期検査のため仙台空港に保管されていたが、押

し寄せる津波により浸水・損傷、海上保安庁によれば、復旧への道のり

は困難を極めたものの、”仙台空港で唯一生き残った機体”として、震災

から約1年後の2012年3月に羽田航空基地に帰還した。一部報道による

と、今回、MA722は、1月1日(月・祝)に発災した「令和6年能登半島地

震」に関する物資輸送のため、羽田航空基地から新潟航空基地へ向かう

途中だったとされている。

   

一度は復活したのに、今回の事故で大破。

これも残念な話だなと思いました。

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