本「日本国紀 下」/大東亜戦争 日本人の洗脳 国旗と国歌 金日成
今日は令和5年11月5日。
前記事に引き続き、
「日本国紀 下」(百田尚樹著/幻冬舎文庫)
から引用していきます。
GHQが「大東亜戦争」という呼称を禁じたのは、日本が欧米諸国に
支配されていたアジアの解放を謳う意味で使った「大東亜共栄圏」
を構築するための戦争であったというイメージを払拭させるためで
す。GHQはたとえ大義名分であったとしても「アジアの解放」の
ための戦争であったと言われるのを嫌ったのです。
この検閲は七年間続きましたが、この時の恐怖が国民の心の中に
深く残ったためか、七十年後の現在でも、マスメディアは決して
「大東亜戦争」とは表記せず、国民の多くにも「大東亜戦争」と言
うのを躊躇する空気があります。いかにGHQの検閲と処罰が恐ろし
かったかが想像できます。
(277〜278p)
同感です。
「大東亜戦争」という言い方は、軍国主義の言い方だと勝手に思い、
極力使ってこなかった気がします。
GHQのやったことの名残なのでしょう。驚きです。
GHQの「WGIP」は新聞とラジオ放送によっても行なわれました。
昭和二〇年(一九四五)十二月八日(この日は真珠湾攻撃からちょうど
四年目の日)より、全国の新聞に「太平洋戦争史」というタイトルで
GHQによる宣伝工作記事が連載され、その翌日からNHKラジオで『
真相はかうだ』という番組の放送が始まりました。いずれも大東亜
戦争中の政府や軍の腐敗・非道を暴くドキュメンタリーをドラマ風
に描いたもので、国民は初めて知らされる 「真相」に驚きました。
新聞連載もラジオ放送も、その目的は日本国民に「太平洋戦争は中
国をはじめとするアジアに対する侵略戦争であった」ということを
徹底的に刷り込むためのものでした。
『真相はかうだ』はGHQがすべて台本を書いており(そのことは国
民には知らされていなかった)、放送される内容も占領政策に都合
のいいものでした。GHQは翌年も『真相箱』『質問箱』というタ
イトルで、約一年にわたり洗脳番組を放送し続けました(依然、GH
Qが制作していることは伏せられていた)。GHQが巧妙だったのは、
番組の中に時折、日本人の良い面を織り交ぜたことでした。そうす
ることで内容に真実味を持たせたのです。 しかし戦前の政府や軍を
批判する内容には、多くの虚偽が含まれていました。
当時も、これらの番組内容は真実ではないのではないかと疑義を抱く
人はいました。ところが、彼らが声を上げても、そうした記事は
「占領政策全般に対する破壊的批判」と見做され、全文削除されて
いたのです。かくの如く言論を完全に統制され、ラジオ放送によっ
て(当時はインターネットもテレビもない) 洗脳プログラムを流され
続ければ、国民が「戦前の日本」を徹底的に否定し嫌悪するように
なるのも無理からぬことです。
ただ、何より恐ろしいのは、この洗脳の深さです。GHQの占領は
七年間でしたが、それが終わって七十年近く経った現在でも、「歴
史教科書」などの影響もあり、多くの日本人が「戦前の政府と軍部
は最悪」な存在で、「大東亜戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」
と無条件に思い込んでいます。
もちろん戦前の政府や軍部に過ちはありました。しかし連合国にも
過ちはあり、また大東亜戦争は決していわゆる「侵略戦争」ではあ
りませんでした。繰り返しますが、日本には中国を占領する意思は
なく(人口と領土を考えても不可能であるし、またそうした作戦は
取っていない)、またそれ以外のアジアの人々と戦争をしたわけで
はありません。
戦後、日本はわずか数年占領下においたアジア諸国に賠償金を支払
いましたが、その国々を数十年から三百年にわたって支配していた
オランダ、イギリス、フランス、アメリカは、賠償金など一切支払
っていないばかりか、植民地支配を責められることも、少数の例を
除いてはほとんどありません。それはなぜか日本だけが誠意をもっ
て謝罪したからです。
日本人には、自らの非を認めるにやぶさかでない、むしろ非を進ん
で認めることを潔しとする特有の性格があります。他の国の人々と
違って、謝罪を厭わないのです。こうした民族性があるところへ、
GHQの「WGIP」によって贖罪意識を強く植え付けられたことで、
当然のようにアジア諸国に深い謝罪の意を表したのです(もちろん連
合国が謝罪させた面もある)。
(279〜280p)
やっと自虐的史観を正そうとしている人たちの気持ちが
わかった気がします。
GHQによって修正された考え方からの逸脱を目指していたんですね。
WGIPは恐ろしい。
奇跡的な復興を支えたのは、ひとえに国民の勤勉さでした。
何の資源も持たない日本が欧米に伍していくためには、死に物狂いで
働くしかなかったのです。そして戦後の日本人はそれをやり遂げまし
た。敗戦からわずか十九年で、アジアで初めてのオリンピックを開催
し、ホスト国として世界の国々を招き、同じ年、第二次世界大戦の戦
勝国すらどこも成し得なかった「時速二〇〇キロ以上で走る高速鉄道」
(新幹線)を東京から大阪まで開通させました。そして、その四年後、
GNP (国民総生産)で西ドイツを抜き、世界第二の経済大国となったの
です。 世界はこの復活に驚愕しました。
私はこの事実にあらためて深い感動を覚えます。私たちの祖父や父は
何と偉大だったのでしょう。
しかし、敗れた日本が取り戻せなかったものがありました。 それは
「愛国心」と「誇り」です。これらは戦後、GHQに木端微塵にされ、
占領軍が去った後は、彼らの洗脳を受け傀儡となったマスメディアや
学者たちによって踏みつぶされ続けました。
国旗と国歌を堂々と否定する文化人が持て囃される国は、世界広しと
いえど日本だけでしょう。
この屈辱は、昭和の輝かしい復興の陰で、決して忘れてはならないこ
とです。
(306p)
国旗と国家。大事にしていきたいですね。
WGIPから抜け出たいです。
ラストに引用するのは、北朝鮮のこと。
ロシアと北朝鮮のつながりを示すことです。
朝鮮半島では、戦後、北緯三八度線から南をアメリカが占領し、北側
をソ連が占領していましたが、昭和二三年(一九四八)に、大韓民国(韓
国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という二つの国がそれぞれ生ま
れました。 北朝鮮建国の時、ソ連は自国で思想教育した金成柱という
人物を「金日成」として送り込んで国家主席に据えました。
「金日成」は一九二〇年代頃から朝鮮の民衆の間に伝わる抗日ゲリラ
の伝説的人物で、実在の人物ではないともいわれています。
朝鮮半島と中国大陸に共産主義国家が誕生したことで、極東でも冷戦
状況が生まれました。皮肉なことに、このことがその後の日本の命運
を分けました。日本を東アジアにおける共産主義の防波堤にしようと
考えたアメリカは、日本を工業国として復興させようという方針を取
ったのです。
(312p)
金日成(キムイルソン)は偽物!
スタートからしておかしい、北朝鮮。
それを知りました。
以上で「日本国紀 下」からの引用を終了。
1冊の本を読むと、たくさん勉強できます。
でも読みっぱなしでは、身に付かない気分。
今回は、できるだけアウトプットしてみました。
「読んだだけでは終わらないの?」
と横で奥さんに言われても、今回はキーボードを打ちました。
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