「ミャンマー現代史」② 国家顧問になったスーチー
今日は令和4年12月6日。
前記事に引き続き、
「ミャンマー現代史」(中西嘉宏著/岩波新書)
より引用します。
適当に開いたページから引用します。
どこからでも勉強が始まる本です。
一方で、官僚、実業家、ジャーナリストといったエリートたちの口
からは、スーチーに失望する声が多く聞かれた。国際社会も同様に、
彼女に対する批判が強くなり、政権発足時の熱狂はあっという間に冷
めてしまった。
(134p)
2015年に発足したアウンサン・スーチーに対する声です。
確かに、ニュースで見ていて、スーチーさんはどうしちゃったんだろうと
心配することがありました。
この本を読んで、スーチーさんは、だましだましの民主主義をやっていて、
綱渡り状態だったことが見えてきました。
勝利の翌日、スーチーは党本部の上階から支持者に演説した。「敗
れたものは勇気をもって道をゆずるべきだし、他方で勝者はおごるこ
となくその勝利を祝うべきでしょう。それこそが真の民主主義です」。
説法めいた、いつものスーチー節だったが、そのあと、敗者に敬意を
払うように呼びかけていた。NLDは1990年に総選挙での勝利を
軍によって反故にされた経験を持つ。何かと理由をつけて、また軍が
政権移譲を妨害するかもしれない。スーチーはじめ、NLD関係者の
多くに政権移譲が実現するのかどうか不安があったのも無理のないこ
とだろう。
(137p)
勝利とは、2015年11月の総選挙のことです。
この選挙で、スーチー政権は発足しました。
でもいつ軍に反故にされるかわからない状況だったのです。
スーチーは慎重にことを進めた。選挙の翌月である12月にはタン
シュエと21年ぶりに会談し、ミンアウンフラインとは、同じ12月
と、翌年の1月、2月と3度にわたって会談している。会談の詳しい
内容はわかっていないものの、スーチーは憲法第59条(f)の改正に
ついて理解を求めたといわれる。
第59条(f)は大統領資格を定めた条項である。配偶者や子供が外
国籍である者に大統領資格を認めないことが定められている。スーチ
ーは同条項の改正を過去にテインセインにも求め、拒絶されていた。
選挙で民意を味方につけて、ミンアウンフラインにも同様のことを求
めたのだろう。しかし、実現することはなかった。一方でミンアウン
フラインは、自身の退役年齢を5年間、すなわち議会一期分延長し、
NLD政権と直接対峙する準備を整えた。
(137~138p)
軍政権が作った憲法。スーチーに大統領にならせないために
条項が作られていました。
スーチーの旦那は、イギリス人です。
そしてミンアウンフラインが、2021年2月の軍のクーデターの
首謀者です。
この本の後半で、何度も名前が出てくる実力者です。
選挙前の記者会見でスーチーは、「大統領資格がないが政権を獲
得したらどうするのか」という質問に「大統領の上になるわ」と答
えている。
(138p)
スーチーは、この言葉通り、国家顧問というポストをつくって就任。
大統領の上の立場になりました。
その代償は大きかったです。国家顧問法案を作成し提出した
NLD党員コーニ―が、2017年1月29日に
出張の帰りに、ヤンゴン国際空港で背後から銃で撃たれます。即死。
国家顧問の設置を面白く思わない軍の関与があったと
思われる事件でした。
ミャンマーは、やはり怖い国なんだと思いました。
開発や成長の恩恵が農村部に到達したのはスーチー政権下でのこ
とである。世界銀行が発表している農村部の電化率(農村人口のう
ち電気にアクセスできる人口の割合)は、2016年に39.8%
だったものが、2019年には57.5%に改善している。
(147p)
ミャンマーは、貧しい国なんだとこの数字を見て思います。
2019年なんて、ちょっと前です。それで57.5%。
どうにかしてあげないといけない国なのです。
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