「日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」③ 家康の駿府ホーム説
今日は令和4年8月8日。
前記事に引き続き、
「東大教授が教える 日本史の大事なことだけ36の漫画でわかる本」
(本郷和人監修/堀田純司漫画原作/瀬川サユリ漫画/講談社)より。
今回は徳川家康の話。
忘れてはならないのは、彼(家康)がシティボーイだったこと。
家康は幼いころに地元三河をはなれ、
今川家の人質としてこの駿河で育った。
当時の駿河は今川義元が京風文化を取り入れた先進地帯。
そんな家康が、土臭い三河武士に親近感を覚えたでしょうか。
実は家康にとって三河はアウェイ。
彼が「三河武士団に心を許していなかった」と
思われる傍証は実はあるんです。
1560年 今川義元が尾張侵攻を開始。
家康は大高城への補給作戦を成功させ大手柄をたてる。
しかし今川義元は桶狭間で戦死。
家康は今川家から離脱するのですが、
なぜか本拠の岡崎城ではなく大樹寺に籠った。
三河武士が迎えにきたとき、家康は震えていたといいます。
家康は彼らが助けにきたのか殺しにきたのか
確信が持てなかったのです。
家康が天下をとった後、自分の家来には多くて10万石ほどしか
領土を与えなかった。
彼がガチでケチだったこともあるでしょうが、
実は彼にとって三河武士団は異文化の異人種。
本音では心を許していなかったのではないでしょうか?
その証拠に、引退してから彼は駿府に住んでいる。
彼の「ホーム」は精神形成期を過ごした駿府だったのでしょう。
(29~30p)
三河の人間にとって気になる文章です。
確かに家康は引退後は駿府に住みました。
なぜ岡崎ではないんだと疑問に思ったこともありました。
駿府がホーム説は説得力があります。
来年の大河ドラマ「どうする家康」で、
三河武士との関係、駿府ホーム説がどう描かれるか、
注目したいところです。
コメント