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2022年7月 4日 (月)

「ポンペイ遺跡が日本にやってきた」② ナポリの地下遺跡

      

今日は令和4年7月4日。

  

前記事に引き続き、

「古代ローマ・ポンペイ遺跡が日本にやってきた

史上最大のポンペイ展 徹底紹介」

(2022年7月2日放映)より。

   

勉強になったことを聞き書きします。

  

ナレーター:イタリア。ナポリ。人口およそ300万人。

  南イタリア最大の都市です。

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  紀元前8世紀。この地域に、

  海を渡って人々が大挙してやってきます。

  古代ギリシャ人です。

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  紀元前5世紀には、ナポリに都市を造り、

  ネアポリス、新都市と名付けました。

  ナポリの語源です。

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  ギリシャ人たちは、ナポリ以南に次々町を造っていきます。

  そんな南イタリア一帯は、

  マグナ・グラエキア、大ギリシャと呼ばれ、

  ナポリは最大の都市でした。

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  町の地下には、古代ギリシャ人の残した遺跡が

  今も残っています。

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チェトランゴロさん:ナポリの地下にあるこの場所は、

  空洞になっています。

  その起源は、古代ギリシャ人が、

  ネアポリスを造った時代に遡ります。

  地上に建築物を造るために、石を採掘したため、

  その後が空間になっているのです。

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ナレーター:何とこの地下から石材を切りだし、

  地上に町を造ったのです。

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チェトランゴロさん:紀元前3世紀のことです。

  古代ローマが大きく地中海沿岸に大きく勢力を広げていました。

  その頃、イタリア半島にあった他の属州と同様に、

  ナポリも、古代ローマの支配下に置かれました。

    

ナレーター:この地下遺跡も、ギリシャ人からローマ人の手にわたり、

  採石場だけでなく、貯水槽として使われていきました。

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ナポリの語源が、古代ギリシャ人が造ったネアポリスであることに

ほ~と思いました。

そして地下から石材を調達することに驚きました。

その地下遺跡が残っていることが素晴らしい。

どれだけの年月が流れていることか。

ナポリは面白いところだなと思いました。  

   

そして、ポンペイはナポリ近郊にあります。

コメント

仕事を始めてから、海外旅行にはまり、ナポリもポンペイも行ってきました!私の目当ては、ワインとピザでしたけどね(笑)。治安が悪かった💦まだ通貨がリラの時代です。

何とうらやましい話です。
ワインとピザを食するために行ってしまう
行動力がいいですね。
今回の映像を見て、ナポリに行きたくなりました。
地下遺跡を見てみたいです。
ポンペイは昔から行きたいところ。
限られた時間だけど、ポンペイについては、
授業でやります。
生徒たちにポンペイの魅力を伝えたいです。

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