「ペリリュー・沖縄戦記」⑥ 瓶に入れられた二匹のサソリ
今日は令和4年7月13日。
前記事に引き続き、
「ペリリュー・沖縄戦記」(ユージン・B・スレッジ著
伊藤真/曽田和子訳 講談社学術文庫)より。
一息つくあいだに隊員たちは、日本兵の背嚢やポケットをあらため
て記念品になるものを探しはじめた。(中略)
みな、いいものがあったと言っては喜び、仲間に見せびらかし、と
きには戦利品を交換する。野蛮でおぞましい儀式だが、深く憎み合
う者同士が敵対する戦場では、古来繰り返されてきたことだ。戦争
がすべてそうであるように、この儀式も非文明的であり、海兵隊と
日本軍の戦闘が激しければ激しいほど、儀式は激越だった。記念品
をあさるとか敵の死体から略奪するといった単純な行為の域を超え、
アメリカ先住民が敵の頭皮を剥いだ行為にも似たところがあった。
(190p)
死体の金歯を取る行為も、平時ではできないことでしょう。
歩兵にとっての戦争はむごたらしい死と恐怖、緊張、疲労、不潔さ
の連続だ。そんな野蛮な状況で生き延びるために戦っていれば、良
識ある人間も信じられないほど残忍な行動がとれるようになる。わ
れわれの敵に対する行動規範は、後方の師団司令部で良しとされる
ものと雲泥の差があった。
(191p)
ロシア・ウクライナの戦争も、私たちの想像を超える残忍なことが
起こりうるわけです。
「短いが激しい戦いになるだろう。3,4日で片がつくと考えてい
る」ーーーペリリュー島攻略作戦が開始されるとき、師団長の言っ
た言葉だ。われわれはもう15日も戦っていたが、終わりは見えな
かった。
(199p)
著者は結局1か月戦闘に参加して、ペリリュー島を去ります。
担架を運ぶときは、手榴弾のなかでも燐光弾や発煙弾を投げて煙幕
を張り、ライフル兵の援護も受けるのだが、敵の狙撃兵はできるか
ぎりの速さで担架手を狙い撃ちしてきた。日本兵は、戦闘のあらゆ
る局面同様、この点でも容赦なかった。
岩だらけの起伏の激しい地形にペリリュー島の酷暑が加わるため、
担架一つに負傷兵一人を乗せて運ぶのも四人がかりだった。中隊の
全員がほぼ毎日、交代で担架手を務めなければならなかった。危険
このうえない重労働だということで、全員の意見が一致いていた。
(206p)
著者は戦場の様子を細かく書いています。
担架手が狙われるなんて驚きです。でも攻撃しやすい対象です。
陸軍の戦車隊はよくやった、というのが海兵隊員の評価だった。今
回の攻撃では、戦車は海兵隊のライフル兵と行動を共にした。いわ
ば相互支援だ。戦車は洞窟の入り口に乗りつけ、至近距離から75
ミリ砲を撃ち込んだーーー「ドーン、ズドッ」。戦車の機関銃も鳴
りやむことがないように思えた。ライフル兵のつかない戦車は、日
本軍の地雷を抱いた決死攻撃に破壊されるのが必定だった。ライフ
ル兵はライフル兵で、戦車の援護に大いに助けられた。
(216p)
日本兵の攻撃方法に驚かされます。
地雷を抱いた決死攻撃。どれだけの若い命が亡くなったことか。
軍事的優秀さを求めるひたむきさにかけては、日本軍もアメリカ海
兵隊に劣らなかった。したがって、ペリリュー島での両軍は、二匹
のサソリが瓶に入れられたようなものだった。一方が息の根を止め
られ、もう一方がそうなる寸前だった。真に優秀なアメリカ兵の集
団でなければ、勝つことはできなかっただろう。
(247p)
ここで有名な言葉に出合う。
「二匹のサソリが瓶にいれられたようなもの」
この言葉は、この本が最初だったのだろうか。
ペリリュー島での日米の戦いを表現している言葉として、
ずっと頭に残っている言葉です。
先にも書いたけど、この本は第一部のペリリュー戦記は読みました。
この本は、一度図書館に返して、後日再び借りて、
第二部の沖縄戦記を読もうと思います。
コメント