「おれは一万石 繰綿の幻」読破/江戸時代の航路について勉強
今日は令和4年6月3日。
この本を読みました。
「おれは一万石 繰綿の幻」(千野隆司著/双葉文庫)
このシリーズを読んでいて思っていたことが、
この本でも思いました。
残りページ数が少なくなってきて、
本当に解決するのかと心配になるのです。
でも解決する。
急転直下の解決のように思えます。
ダダダダーッと解決して、少し余韻を残して終わる。
このパターンだなと思います。
シリーズも12冊も読むと、パターンが見えてきます。
それでは印象に残った文章を引用します。
朝晩には火鉢に火を熾させた。
(25p)
「熾させた」にはふりがながうってなかったです。
でも記憶の片隅に残っていました。
※ここでも道草 火鉢10/七輪/炭火を熾す(おこす)(2009年10月25日投稿)
この漢字について13年前に記事にしていました。
「おこさせた」と読みます。読めました。
もともと木綿は、中国や朝鮮から渡来した。それが徳川の御世にな
る頃には、各地に広がった。それまで庶民が身に着けていたのは、
麻布の着物だった。
麻布は丈夫だが、暖かさに欠け肌触りもよくない。
(155p)
木綿はこのような歴史があったのですね。
江戸時代に広がったわけだから、
現在の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、
木綿の服は登場しないことになります。
「御世」を何と読むのか?
またふりがながうってありませんでした。
調べました。weblio辞書 御世
「みよ」と読みます。
意味は「天皇または王が在位している期間」
徳川将軍を王と考えれば、この使い方でいいのかな。
でもちょっと疑問が残る使い方です。
主な航路としては、北前船(きたまえぶね)で知られる西回り航路、
太平洋側を箱館から江戸に巡る東回り航路、そして江戸と上方を繋ぐ
航路の三つが挙げられる。太平洋側は黒潮や親潮の関係で、日本海側
に比べて波が荒かった。(中略)
この湊(須賀利湊)を出れば、遠州灘という航路最大の難所へ出る。
伊良湖岬から御前崎まで、一番の荒海だ。避難湊が少ないので、無謀
な船出をしたり船頭の腕が悪かったりすれば破船の憂目に遭う。
(175p)
私は江戸時代の航路が苦手です。
でも地元の伊良湖岬が話に登場したので、
ここで整理しておきたいと思いました。
※【西廻り航路と東廻り航路の違い】発達した理由・意味をわかりやすく解説!!
ここを読みました。
そして地図を転載します。
酒田が起点になっていました。
西回り航路の方が発展したそうです。
西回り航路が発展したおかげで、
敦賀で荷を下ろして琵琶湖まで運び、
琵琶湖を船で運ぶルートが廃れたとのこと。
「おれは一万石」シリーズは、江戸時代の勉強になります。
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