「放射線を浴びたX年後」⑤ 山下さんから「本当によかった」と言われる
今日は令和4年1月22日。
昨日の記事に引き続き、
「放射線を浴びたX年後」(伊東英朗著/講談社)より
引用します。
どうしても映画にしたかった理由はほかにもある。映画となれば観
客も映像に集中してくれる。テレビのように途中でチャンネルを替
えられることもない。映画ならば最初から最後まで映像だけを追っ
てくれる。そして、なにより視聴者の息づかいが感じられる。面白
いのか面白くないのか、感動しているのか、退屈しているのか。手
に取るように分かる。それは、制作者にとっては、何より怖い反応
だ。だが、これまでテレビをやってきて、視聴者がどう見ているの
かを知る手段は、視聴率だけ。それだけでは、作り手としては十分
に納得できない部分があった。
(209p)
テレビ番組を制作している側の人の気持ちがわかる文章です。
視聴者がどう思って見ているのかは、知りたいところなのですね。
そりゃそうだ。苦労して制作しているのだから。
アメリカ、イギリスの太平洋上での大気圏内実験は1962(昭
和37)年まで120回以上繰り返されている。放射線降下物は
日本全土をすっぽりと包み、放射能の雨を降らせた。だが1954
年12月31日、わずか10カ月で港での放射能検査は打ち切ら
れ、その後も事件は続いたにもかかわらず検査は一度も行われず、
すべての魚が食卓へと運ばれた。現代史に残る大事件のはずなの
に、教科書では「ビキニ事件=第五福竜丸の被ばく」と矮小化さ
れている。そこが私にとって何よりも最悪なのだ。半永久的にハ
ッピーエンドにならない。
事実の解明はいまだ終わらない。いや、まだ始まったばかりであ
る。
(217~218p)
数カ月前まで、私は矮小化された内容で記憶していました。
勉強が大事なのですね。
「よかった、よかった。本当によかった。事件が動きはじめたが
よ。僕も諦めかけとった。やけど、伊東さんがおらんかったらこ
こまでいかんかったがよ。本当によかったが」
私は、胸が熱くなるのを感じた。山下(正寿)さんからそんな言
葉をかけてもらうのは初めてだった。
(225p)
このシーンを、和気一作著「放射線を浴びたX年後」から転載。
うれしかっただろうな。
映画を見るためにこの土日は動きたいです。
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