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2022年1月22日 (土)

「放射線を浴びたX年後」⑤ 山下さんから「本当によかった」と言われる

             

今日は令和4年1月22日。

   

昨日の記事に引き続き、

「放射線を浴びたX年後」(伊東英朗著/講談社)より

引用します。

   

どうしても映画にしたかった理由はほかにもある。映画となれば観

客も映像に集中してくれる。テレビのように途中でチャンネルを替

えられることもない。映画ならば最初から最後まで映像だけを追っ

てくれる。そして、なにより視聴者の息づかいが感じられる。面白

いのか面白くないのか、感動しているのか、退屈しているのか。手

に取るように分かる。それは、制作者にとっては、何より怖い反応

だ。だが、これまでテレビをやってきて、視聴者がどう見ているの

かを知る手段は、視聴率だけ。それだけでは、作り手としては十分

に納得できない部分があった。

(209p)

   

テレビ番組を制作している側の人の気持ちがわかる文章です。

視聴者がどう思って見ているのかは、知りたいところなのですね。

そりゃそうだ。苦労して制作しているのだから。

  

   

アメリカ、イギリスの太平洋上での大気圏内実験は1962(昭

和37)年まで120回以上繰り返されている。放射線降下物は

日本全土をすっぽりと包み、放射能の雨を降らせた。だが1954

年12月31日、わずか10カ月で港での放射能検査は打ち切ら

れ、その後も事件は続いたにもかかわらず検査は一度も行われず、

すべての魚が食卓へと運ばれた。現代史に残る大事件のはずなの

に、教科書では「ビキニ事件=第五福竜丸の被ばく」と矮小化さ

れている。そこが私にとって何よりも最悪なのだ。半永久的にハ

ッピーエンドにならない。

事実の解明はいまだ終わらない。いや、まだ始まったばかりであ

る。

(217~218p)

    

数カ月前まで、私は矮小化された内容で記憶していました。

勉強が大事なのですね。

   

  

「よかった、よかった。本当によかった。事件が動きはじめたが

よ。僕も諦めかけとった。やけど、伊東さんがおらんかったらこ

こまでいかんかったがよ。本当によかったが」

私は、胸が熱くなるのを感じた。山下(正寿)さんからそんな言

葉をかけてもらうのは初めてだった。

(225p)

 

このシーンを、和気一作著「放射線を浴びたX年後」から転載。

Epson058

うれしかっただろうな。

  

  

映画を見るためにこの土日は動きたいです。
   

  

  

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