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2022年1月16日 (日)

「放射線を浴びたX年後」② NNNドキュメント 山下幸男さんの証言

      

今日は令和4年1月16日。

    

前記事に引き続き、

「放射線を浴びたX年後」(伊東英朗著/講談社)より

引用します。

   

この事件にかかわる最初の番組制作を後押ししてくれたのは、日本

テレビ系列で44年にわたって放送している「NNNドキュメント」

だった。第四章で詳述するが、私たち地方放送局が全国の人に向け

て放送できる貴重な枠である。制作費も提供される。この枠で放送

するということで、番組制作のゴーサインをもらうことができたの

だ。

(34~35p)

   

時々は録画していたNNNドキュメント。

これからは積極的に録画しようと思うようになりました。

  

  

「昔はキノコ雲を見た人間が何人もいたんだが」

聞き込み開始からわずか15分間でその証言を得た。この内外ノ浦

には、第五福竜丸とともに被ばくした新生丸の乗組員やその家族が

今も暮らしていることが裏づけられた。そう、第五福竜丸以外の漁

船員も、当たり前のようにキノコ雲を見ていたのだ。

(37~38p)

    

スゴイ証言なんですよね、これって。

山下幸男さんの証言です。

   

  

山下(幸男)さんは何気なく「空に広がる火の塊」「船に降り注ぐ

死の灰」「次々と亡くなった仲間たち」と口にした。教科書にはな

い歴史の言葉の数々を耳にした時は、驚きとともに興奮した。

(45p)

   

埋もれていた声が表に出てきた瞬間です。

興奮したでしょう。

山下幸男さんに関しては、和気一作さんの

「放射線を浴びたX年後」(創風社出版)から転載。

Epson054

Epson055

これは原作本でも名シーンです。

取材後7年して、山下幸男さんは亡くなります。

  

この七年後、山下幸男さんは亡くなった。19名もいた新生丸の乗

組員は、今ではもう、ほぼいなくなってしまった。もう一人いると

言われている生存者も今は不明だ。

私はこの日から、10年にもわたり取材を続けることとなった。

(46p)

    

でも「NNNドキュメント」で山下さんの声は紹介されたと思います。

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