20211226報告④ 映画を見て思ったこと感じたこと
今日は令和3年12月30日。
映画「西から昇った太陽」について。
私が実際に見て思ったことを書いていこうと思います。
当時の漁船は物資がない時代だったので、
防風林であった松や杉の木を使って造られた
木造船が多かったそうです。
鉄の船ならば、波にあっても軋まないけれども、
第五福竜丸は軋んだそうです。
次の大波で木っ端みじんになってしまうのではと
怖れて乗っていたそうです。
よくぞそんな船で太平洋の真ん中まで行くよなと思いました。
マーシャル諸島で、水爆実験の明かりを見た時は
「ピカドン」だと言っていたそうです。
原子爆弾を「ピカドン」と表現することは、
船員たちも知っていました。
「ドン」は地鳴りのような音だったそうです。
乗組員は甲板に身を伏せました。
立っていられない衝撃が、160km先まで届いたのでしょう。
機関士の池田さんは、すぐに機関室に行き、
そこで味わったことのないようなにおいを感じます。
目に見えないものがすでに第五福竜丸には届いていたのでしょう。
焼津に戻った乗組員たちは、
アメリカ人医師の診察を受けることを拒否して
日本の病院に入院することを決めます。
まだ終戦間もない時であり、
敵国アメリカに行くことを恐れた気持ちがあったことを知りました。
東京の病院へは飛行機で向かっています。
病院には当時としては珍しいテレビがセットされ、
乗組員たちはそのテレビを見て、
外の世界で何が起こっているかを知ります。
放射能を浴びた人とは結婚したくないという
若い女性の発言にショックを受けます。
「僕たちは別の人間になってしまった」と思ったそうです。
このことは本でも読んだことがありますが、
その情報を知ったのはテレビだったのだとわかりました。
久保山愛吉さんが重症に陥り、痛みに苦しんでいる姿を見て、
他の乗員たちも、初めて自分の死を真剣に考えたそうです。
病院でも陽気だった乗員たちでしたが、
久保山さんの死後は口数が減ったそうです。
1年2カ月余り入院して焼津に戻った時の様子も描かれていました。
「放射能はうつる」と思われ、近所の人から無視されます。
小さな子どもに放射能がうつって死んでしまうとも言われます。
ぜひ婿養子にと言われていたのに、断られるシーンもありました。
死産で子どもを失ったのは大石さんでした。
映画の締めは
「環境と犠牲者の健康を脅かせ続けています」でした。
監督が伝えたいと思っていたメッセージです。
全体的に静かな映画でしたが、語られていることは重い映画でした。
インタビューで語られていることが主であって、
アニメーションがそれを補助していました。
日本語の字幕も大いに助けになりました。
これで借りていたDVDは返却しようと思います。
生徒に対して上映会をするためには
どのような手続きが必要なのか聞いて行動したいです。
できたら、できるのなら、
手元に置いておきたい映像でした。
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