「身分帳」② 映画を見た人に小説を手に取ってもらう作戦
今日は令和3年6月19日。
前記事に引き続き、
「身分帳」(佐木隆三著/講談社文庫)
から引用します。
前記事で終了しようと思っていましたが、
西川美和監督の文章で、ここに書き留めておきたい文章が
残っていました。
この小説には、一人の元犯罪者の社会復帰の物語とは別に、私たち
がもうすぐ完全に証人を失うはずの日本の戦後史のアウトサイドが
綴られている。戦災や引き揚げで、親と離れて社会から隔絶された
子供たちがどのような場所で育ち、急速に復興していく社会の裏側
でどうしぶとく生き抜いたのか。駅で育った子供や、ときに彼らを
取り込んで盛り場から膨れ上がったヤクザの世界など、今やもの言
わぬ人たちの希少な記録でもあると思う。モラルとは距離を置いた
特殊な共同体の中で、幼い頃から盗みを働き、薬物を教えられ、性
を荒らされ、劣悪と言えばそれまでだけれど、そういう言葉で誹(
そし)るのもためらうほどの、止むに止まれぬ「生」の迫力がある。
私たちは今こうまでして生にかじりつくだろうか。時間と制作予算
に限りある映画の中で、残念ながら私はそれらの時代性を再現して
伝えることはできない。だからこそこの小説をもう一度手に取って
もらうきっかけを作りたいと、意地になった。もう、前を向いて脚
本を書くよりほかない。
(458~459p)
「スクリーンは待っている」を読んだ時に、
西川監督は、映画には限界がある、
原作を読んだ人に納得してもらうことは難しいみたいなことを
書いていました。
西川監督の作戦は、映画を見た後に原作を読んでもらうことなんだ。
そこまでして、西川監督の作戦は完結します。
私はその順番通りではありませんが、
西川監督の思惑に乗っています。
心地よく乗っています。
今日の出来事で共通したものを感じたのは、
5月19日の「チコちゃんに叱られる」での
戦後直後の寿司屋のお話。
※ここでも道草 なぜ握りずしの1人前は10個?(2021年6月19日投稿)
逸話を語ってくれたのは88歳の方でした。
戦中戦後を語れる証人はいっきにいなくなってしまう時代なのです。
本で残す、映像で残す、ネット上に残す。
いろんな方法で残していくべきなのでしょう。
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