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2021年6月27日 (日)

「がんになって良かった」と言いたい④

    

今日は令和3年6月27日。

  

前記事のつづきで、

「『がんになって良かった』と言いたい」

(山口雄也・木内岳志著/徳間書店)

より引用していきます。

   

「あとがき」はすべてを書き留めたくなる文章でした。

  

「生存者バイアス」という言葉がある。何らかの選択課程において、

それを通過できた人ないし事物のみ基準にし、脱落・淘汰されたそ

れ以外の存在を考慮せずに偏った判断をしてしまうことである。簡

潔に言えば、生存した者の意見だけを取り入れてしまうことである。

がんという選択課程を生き残った者は「サバイバー」と呼ばれる。

僕もその一人になろうとしている。一歩で我が国では、この定義を

用いるならば、毎年約四十万人が「選択課程において淘汰」されて

いるのだ。僕の患者仲間たちも多くがこの世をさった。

本書を刊行するにあたって僕自身の意見がバイアスのかかったもの

ではないのかということについて、幾度も幾度も深く考えた。「が

んになって良かったと言いたい」のは、生存者であるからそう思う

のではないのか、と。

果たして、その答えは未だに僕の手元には無い。おそらくそう簡単

に見つかるものではなくて、きっと死の数秒前にそう思えたらそう

であるし、そう思えなかったらそうでは無いのだろう。しかし僕は

改めて、がん患者として過酷な生活を送った日々が、もう二度と自

分に訪れてほしくないと思うとともに、あれがなければ、この世界

をこのような視点から眺められなかったのではないか、とも思って

いる。まるで容赦無く険しい道のりを登り切った者にのみ、山頂か

らの雄大な景色が与えられるかのように。

今の幸せの僕は、あの日死にかけていた僕によって構成されている

のだ。たとえ、誰が何と言おうと。きっとこの景色は、いくら言葉

や写真で伝えようとも、完全には伝わらない。それは死の領域に足

を踏み入れた者だけに与えられた感覚であり、きっと道半ばで潰え

た彼らも、僕たちにしか通じないこの美しい世界を見ていたはずな

のだ。彼らを可哀想だという人間は、きっとこの景色を知らない。

(248~249p)

   

山登りのたとえはわかりやすいです。

いずれは死の領域に足を踏み入れる時が来るけど、

疑似的でもいいからこの本で体験してみたかったと思います。

山口さんの思いもそこにあったようです。

次のように書いてありました。

   

一方で、この世界の存在を広め、あるいは多くの人に関心を持って

もらうことはできるかもしれないーーーそれが本書の大きな目的で

もあった。僕は、この社会の様々な人々が、病のあるなしに関わら

ず、生きることと死ぬことについて考え、そして価値観を認め合う

日が来ることを切に願ってやまない。本書がその一助となれば幸い

だ。

(249p)   

   

  

以上で引用は終了です。

   

この本の文章が、ブログに書かれたことというのが

私には印象に残ります。

その時その時に思ったことを大切にして、

しっかり書き留めること。

読んだ人に伝わるように、文章を工夫すること。 

それはブログなら可能なのだと思いました。

他のSNSではできないことに思えました。

  

このブログをまだまだ頑張りたいと思わせてくれた本でした。

山口雄也さんは、自分に大きな影響を残してくれました。 

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