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2021年5月17日 (月)

「殿様は『明治』をどう生きたのか」/映画「北の零年」を観たい 徳川昭武

   

今日は令和3年5月17日。

   

この本を読みました。

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「殿様は『明治』をどう生きたのか」(河合敦著/扶桑文庫)

  

この本できっかけをもらいました。

映画「北の零年」(2005年)を見るきっかけです。

徳島藩最後の藩主蜂須賀茂韶(はちすかもちあき)の章で、

家老稲田邦植(くにたね)による藩から独立する企てのことが

書いてありました。

この企ては失敗します。

引用します。

 

稲田氏に対しては、北海道の静内や色丹島に新地を与え、彼らを

士族と遇して移住させ、同地を開拓させることにした。このとき

の労苦は、2005年に公開された映画『北の零年』で知ること

ができる。

(143p)

   

さっそくWikipedia 北の零年で調べました。

吉永小百合さんが、「お登勢」「石狩平野」の作者船山馨のファンで

あり、以前から北海道を開拓した人々の物語を映画化したいという

希望を持っていたことが、映画化のきっかけだったと知りました。

「石狩平野」は思い出の本です。

ここでも道草 北海道開拓の小説「石狩平野」「石狩川」(2019年8月22日投稿)

  

以前から観たいと思っていた映画です。

北海道開拓には興味があります。

今回、縁があったので、近日中に観てみたいです。

おそらくアマゾンプライムビデオで観ることは可能でしょう。

  

  

水戸藩最後の藩主徳川昭武(あきたけ)も覚えておきたい人です。

徳川斉昭の18男として生まれ、徳川慶喜の弟です。

大河ドラマ「青天を衝け」の主人公渋沢栄一と、

パリ万国博覧会に参加して、そのままパリに残って留学した人物。

大河ドラマでどのように描かれるか注目です。

徳川昭武は晩年は趣味に生き、自転車に乗ったり、

写真を撮って過ごしたそうです。

たくさんいる兄弟の中で、慶喜と一番交流があったそうです。

晩年というには早く、58歳で亡くなっています。

  

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