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2020年10月20日 (火)

都倉俊一さんが語る筒美京平さん(後編)

   

今日は令和2年10月20日。

 

前記事に引き続き、10月18日の朝日新聞朝刊にあった記事を

書き写します。

  

10月7日に80歳で亡くなった筒美京平さんのことを、

同じ作曲家の都倉俊一さん(72歳)が語った文章です。

  

 京平さん自身は、歌があまりうまくなかった。でもそれが懐の深さ、

引き出しの多さにつながっていた。作曲家には色んなタイプがいるけど、

自分で歌える人たちは、自分の世界に入って、自分が歌って気持ちのい

い歌を作る。でも、自分で歌わない京平さんは、完全に提供する相手の

身になって歌を作るから、とにかく幅が広かった。

 京平さんとコンビを組んだ阿久悠さんもそうでした。阿久さんは実体

験を歌にすることがほとんどなかった。僕は阿久さんを「妄想作家」っ

て呼んでいたぐらいでね。京平さんと阿久さんは、「自分を主人公、主

役にしない」という点で共通していたと思う。そして、時代を嗅ぎ分け

て合ったものを投げていく「大衆とのキャッチボール」が2人とも抜群

にうまかった。

 僕と京平さんの違いは、まず詞先か曲先か。僕は曲を先に作るけど、

京平さんはできあがった詞にメロディーを付けることが多くて、「良い

詞がほしい、良い詞がほしい」と言っていたらしい。

 あとは、プロデュースするタイプかどうか。僕はピンクレディーにし

ても山口百恵にしても、シリーズものにしたり、編曲したりとすべてプ

ロデュースする。京平さんはプロデュースというよりは、楽曲そのもの

で勝負する。その違いはありました。

 1970~80年代はとくに、時代と音楽が一緒に歩いてきた。そし

て何百万、何千万の人たちの心に残る曲が生まれた。その中で、京平さ

んを先頭に、全速力でみんなで走り抜けてきた。仲間であり、ライバル

であり先輩であり。だから亡くなったという知らせはショックでね。

 でも、決して作品がなくなるわけじゃない。京平さんや僕らの時代の

音楽は、クラシックとしてずっと先の未来まで残っていくものがたくさ

んあると思う。だから、どう伝承されるかに興味がある。

 いまはシンガー・ソングライターが一つのジャンルを確立した。しか

しいつの日か、何十年後かに、あらゆる歌手を通じて人の心に伝わる、

普遍的なメロディーを書くソングライターという職業作家がいた時代の

ことが評価され、受け継がれるときが来て欲しい。京平さんも、きっと

そういう思いがあったんじゃないかな。(聞き手・定塚遼)  

   

歌がうまくなかったというのが印象に残りました。太字にしました。

歌がうまくない人が、提供する相手の身になって歌を作るからくりは、

とても面白い。いい話だと思いました。

前記事に書き写した何曲かの歌が、再び頭に流れてきました。

思えば、ソングライターの曲をたくさん聴いてきましたが、

歌が下手な作曲家の曲もいいなと思えました。

  

いい文章だと思ったので、ここに書き写しました。

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