「復活の日」は「見てから読む」でした
今日は令和2年10月11日。
昨日の朝日新聞では、「角川映画」について書いてありました。
角川春樹社長の下、映画「復活の日」(1980)をはじめとして、
「犬神家の一族」(1976)、「人間の証明」(1977)、
「野生の証明」(1978)、「戦国自衛隊」(1979年)、
「セーラー服と機関銃」(1981)、「蒲田行進曲」(1982)、
「時をかける少女」(1983)、「探偵物語」(1983)、
「Wの悲劇」(1984)、そして「天と地と」(1990)
などの映画が連発されました。
こうやって並べてみても、ほとんど見ています。
映画館で見たものもあれば、テレビ放映で見たものもあります。
記事を読んで「角川映画」には次のようなコピーがあったことを
思い出しました。
「読んでから見るか、見てから読むか」
角川春樹社長の目的は、映画をヒットさせるだけでなく、
本を買ってもらうことでした。
私は映画「復活の日」は、1980年に映画館で4回見ました。
最初に1回見に行って、
後日、オールナイトで3回連続で見ました。徹夜でした。
しかし、原作を読んだのは、40年後の先日でした。
「見てから読む」でした。
それも図書館で借りた本でした。
※AERAdot. 「読んでから見るか、見てから読むか」の時代――角川映画40年
この記事によると、角川春樹社長の目的はもう一つあって、
主題歌をヒットさせることもあったようです。
それに私は乗っかりました。
「復活の日」の主題歌ジャニス・イアンの「ユー・アー・ラブ」を
何度聴いたことか。ここでまた1回 ☟
上記「AERAdot.」の記事から一部引用します。
角川書店の二代目社長・角川春樹が映画製作に乗り出したのは
1976年の「犬神家の一族」からだ。
しかし角川書店が「映像化によって原作の本が売れる」ことを
実感したのはその7年前の69年だ。
この年のNHKの大河ドラマは「天と地と」で、
海音寺潮五郎の原作は角川書店から出ていた。
当時、同社は経営不振に陥っていたが、
『天と地と』がベストセラーになったことで立ち直った。
翌70年、角川は無名の作家エリック・シーガルの
『ある愛の詩(うた)』の日本での版権を取得し翻訳出版すると、
映画が大ヒットしたので、翻訳小説としては異例の
100万部を超えるベストセラーとなった。
テレビドラマや映画がヒットすればその原作も売れる──
そんなことは出版界の人間なら誰でも知っていた。
だが、自分で映画化しようと考え、実行した出版人はいなかった。
角川春樹はそれをやってのけた。そして成功した。
角川映画が生んだ最大のスターとは、薬師丸ひろ子でも原田知世でもなく、
角川春樹その人だった。
あの時代、そしていまにいたるまで、映画プロデューサー、
あるいは出版社社長で角川春樹ほど知名度のある人はいない。
講談社や小学館の社長の名は出版業界では知られていても、
一般の人は知らない。しかし、角川春樹は有名だった。
その点でも、角川はアップルのジョブズに先駆けている。
なるほどです。
当時、角川春樹社長は目立っていて、
名前も顔もわかっていました。
映像化によって原作の本が売れることに実感したのは、
1969年の大河ドラマ「天と地と」だったのですね。
1990年に「天と地と」を映画化したのは、
こんな因縁があったのですね。
その時代を過ごしてきた身として、「角川映画」について
もっと知りたくなりました。
この本が面白そうです。
きっと読みます。
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