歴史の教訓/軍艦「矢矧」でのインフルエンザによる大惨事
今日は令和2年6月28日。
2020年5月12日に放映された「BS1スペシャル
ウイルスVS人類3 スペイン風邪 100年前の教訓」は
勉強になりました。
一部聞き書きします。
塚原愛アナウンサー:制限解除のタイミングの難しさを伝える象徴的
な事件が、100年前に起こりました。
ナレーター:事件の舞台は、軍艦「矢矧(やはぎ)」。第1次世界大
戦の際、インド洋、オセアニア方面の警戒と輸送船保護の任務に
当たった軽巡洋艦です。
1918年。「矢矧」はオーストラリアのシドニーから、シンガ
ポールへ移動する任務を受け、11月9日に到着しました。
艦長山口伝一は、他の軍艦で発生していた流行性感冒を警戒。
最新の注意を払い、当初、上陸も現地人の乗り込みも認めず、状
況を見極めていました。
2週間の状況調査で、シンガポールの街では、感冒の流行はほと
んど収束していると判断。仲間の船も上陸許可を出していたこと
もあり、21日と22日、山口艦長は、乗員の半数ずつ、4時間
に限って、上陸を許可しました。
しかし、2日後。
上陸した乗員、4人が発熱。彼らを隔離したものの、28日には、
10人に増加。船はそのままマニラに向かって出航します。
感染は広がり続け、12月、治療に当たっていた軍医、看護部員
にも感染。ついには、乗員469人の9割以上が罹患し、船は病
人であふれました。
かろうじてマニラにたどり着いたものの、48人が死亡する大惨
事となってしまったのです。
磯田道史:「矢矧」の姿は非常に象徴的ですね。島国日本とも重なり
ます。やっぱり、水際対策、船内国内に(ウイルスを)入れない
という、ニュージーランドのように、島国を利用した有効な感染
対策をとっている国もあります。
わずか4時間の上陸2回で。最初の感染者が出たときに、「風邪
だ」と思って、そのまま出航しちゃったと。これが非常に危険で
したね。
塚原アナ:この時、シンガポールでは流行が一旦おさまりかけていた
時期。そういう状況を見て、艦長は判断したと思うんですけど、
厳しい結果となってしまったんですね。
磯田:そうなんです。歴史の教訓として、おさまりかけた時の対処、
行動制限の解除が非常に重要で慎重な判断が求められると。
ちょっと早く解除したいなと思うのを、少しだけ慎重にするとい
う方が、安全かもしれないというのが、今回に当てはまるかどう
かはわかりませんが、私としては、教訓として読み取りたいと思
っています。
このような事件があったことを、この番組で初めて知りました。
軍艦「矢矧」と島国日本が、確かに重なります。
これから日本がどのような過程で、海外との往来を始めるかが、
現在まさに問われているわけです。
人間、何も起こらないことを想定しまいがちですが、
この番組を見て、危機意識を高めることができました。
もう少し、この番組で勉強したことを書きたいなあ。
今晩はここまで。
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