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2020年4月22日 (水)

「英雄たちの選択 南方熊楠」を見る

今日は令和2年4月22日。

   

3年前の番組を見ました。

2017年3月23日放映の「英雄たちの選択

”知の巨人”  南方熊楠の闘い 熊野の森を守れ!」

より。

  

  

〇南方熊楠はよく学んだ。

 「小生は次男にて 幼少より学問を好み、

  書籍を求めて、二十町三十町を走りありき、

  借覧し、ことごとく記憶し帰り、

  写し出し、くりかえし読みたり」

〇「和漢三才図会」を書き写した。

 膨大な事典のような書籍。

〇東大に進学。イギリスに留学する。 粘菌に関心をもつ。

 当時の日本は欧化政策をとっていた、

 熊楠はその政策に反対であった。日本を含めた東洋の復権を目指す。

 留学中に意気投合した孫文に「あなたは一生かけて何をやりたい?」

 と問われて「願わくは、我々東洋人は一度西洋人をことごとく

 国境外へ放逐したきことなり」と答えた。

  

〇東大予備門の同級生

 夏目漱石 正岡子規 尾崎紅葉 幸田露伴 秋山真之

〇明治10年代に青年期だった人たち・・・無償の遊戯性があった。

 立身出世やお金のためではなく、見返りを期待せずに、

 勉強が楽しいからやっている

  

〇熊楠 熊野に住む。

 日露戦争(1904~1905年)

 戦後、神社合祀政策が行われる・・・国民の統合を図るため、

 伊勢神宮を頂点とする国家神道の確立をめざす。

 全国の神社は原則一町村一神社として整理統合することとなった。

〇日露戦争で多額の借金をして、

 それなのに賠償金を得ることができなかった。

 地方財政も苦しい・・・神社の跡地を農地にして市町村の収入とした。

            伐採した木も売って収入とした。

  

〇熊楠の考え方

 生態を壊すと、人間の生活にも影響を与える。  

 世界には不要なものはない。

 それぞれが存在理由があって、そのバランスで成り立っている。

 神社合祀政策に対して反対運動を継続的に行った。

  

〇中央政府に勤めていた柳田國男と協力して

 神社の森が失われていくのを食い止める活動を行った。

〇生き残った大木

 三重県御浜(みはま)村 引作の大楠(ひきつくりのおおくす)

__panoramio Wikipedia 引作の大楠

  

〇大正7年 神社合祀政策廃止

〇(磯田道史)

 「草の根運動だけだと先へ進まない構造を持った国(日本)」

 (北川正恭)

 「草の根運動があるからお上が動く。それがなかったら動かない」

 

〇和歌山県田辺市神島

 古来から植物が保存されてきた。

 神社合祀政策の時には南方熊楠が森林伐採から守った。

 1929年(昭和4年)昭和天皇が神島訪問 熊楠が案内した

 ミルクキャラメルの箱に納められた粘菌の標本を見せた。

 神島は国の天然記念物に指定されている。

  

〇南方熊楠は書き写すことのマニアだった。

 書き写すは大事な勉強方法。

 

〇南方熊楠のことば

 「一芸一事に達する者はたとい山中に隠るるとも

  大いにその国の福分を益す」

 

※廃仏毀釈(神仏分離令)とは違って、

 神社合祀政策という政策があったことを知り、

 それに継続的に反対運動をしていたのが

 南方熊楠であったと知れました。

 ずっと昔に南方熊楠の伝記は読んだことがあり、

 名前はしっかり覚えていましたが、

 どのような人であったのかは今回で思い出しました。

 (すっかり忘れていたので”思い出した”ではないかな)

 

※この機会に、次のサイトで勉強しました。

真の国益を実現するブログ 神社合祀と南方熊楠 

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