パラリンピック〈21〉 「パラアスリート」⑧ ボッチャの普及について
今日は令和2年2月21日。
2月17日の記事に続いて
「パラアスリート」(山田清機著/PHP研究所)
より引用します。
【ボッチャ選手 江崎駿 えざき・しゅん】その2
(駿の父親の)泰秀が言う。
「初めてボッチャって聞いたときは、かわいい名前だなと思っ
たものですが(笑)、いまはパラスポーツのなかでも特別な競
技なのだと思っています。パラアスリートには『俺は障がい者
じゃない』と主張する人が多いし、実際、健常者がかなわない
運動能力の持ち主はたくさんいます。でも、ボッチャはあくま
でも障がい者のスポーツであり、ボッチャの選手はアスリート
ではあるけれど、あくまでも障がい者なのだと思うのです。健
常者に勝とうとするのではなく、障がい者として自分ができる
ことをやろうというのが、ボッチャの世界ではないでしょうか」
多くのパラスポーツは健常者を障がい者向けにアレンジしたも
のだが、ボッチャはそもそも障がい者のためにつくられたスポ
ーツであり、それゆえに高齢者や子どもも参加できる「間口の
広さ」をもっている。それこそが、ボッチャの魅力であり可能
性でもある。
(142~143p)
なるほどなるほどです。
現在、千葉県立東金(とうがね)特別支援学校に勤務している
古賀(稔啓/としひろ)は、日本に初めてボッチャを”輸入”し
た人物である。
(中略)
古賀は1997年に日本ボッチャ協会を設立して理事長に就任
すると、1999年に第1回の日本選手権を開催している。世
界的に見れば、ボッチャはすでに1992年のバルセロナパラ
から正式種目に採用されているが、日本代表が初めてパラリン
ピックへの出場を果たしたのは2008年の北京パラ。古賀が
協会を設立してから、実に11年後のことであった。
(150p)
私のブログで、「ボッチャ」が初登場したのは、
2015年の6月でした。(いい機会なので再読します)
※ここでも道草 特別支援学校に行ってきました(2015年6月11日投稿)
まだ日本では20年ほどのスポーツです。
しかし、リオパラリンピックでの日本チームの活躍で、
有名になりました。
奥田(邦晴/大阪府立大学教授)が目指そうとしているボッチ
ャの世界とは、いったいどのようなものだろうか。
「2020年までのショートタイムで言えば、とにかく勝たせ
ることですね。日本代表が金メダルを取ることによってボッチ
ャがメジャーになり、障がい者がリスペクトの目で見られるよ
うになる。しかも、ボッチャは障がい者だけでなく高齢者でも
子どもでもできるスポーツですから、強制社会の実現に貢献で
きる。ボッチャには社会を変えていく力があるんですよ」
ボッチャが誰にでもできるスポーツであり、やってみると面白
いことはすでに体験済みだ。奥田は競技ボッチャではなく誰も
が楽しんでやれるボッチャのことを「i -BOCCIA」と名付
けて、その普及にも取り組んでいる。i には intimate(親しみ
やすい)、inclusion(共に)、interest(面白い)という3
つの意味があるという。
(154p)
(ボッチャの)普及活動の中心にいる村上光輝に話を聞いた。
「(中略)いくら競技団体がガツガツ広めようとしたって、楽
しくないスポーツは広まりません。リオパラで日本代表が銀を
取ったことで、たしかにボッチャの名前は広まりましたが、『
重度障がい者のスポーツ』という部分だけが有名になって、実
際にどんなスポーツなのかほとんど浸透しませんでした。私は
ボッチャから『重度障がい者の』という枕詞を外したいのです」
(中略)
「ボッチャは障がい者と健常者が一緒にプレーできる数少ない
スポーツのひとつですから、いずれ世界中からフルオープンで
(障がいの有無に関係なく)選手を招く国際大会を開きたいで
すね」
協会は、こうした大会のひな型である「東京カップ」という大
会を、すでに2017年から準備している。東京カップは障が
いの有無に関係なく参加できる「国内初の本格的インクルーシ
ブ大会」であり、ボッチャ以外のオリ・パラの選手で構成され
るアスリートチームや企業のボッチャ部、そしてボッチャの日
本代表選手で構成される火の玉JAPANなど、多様なチーム
が参加している。現在は国内大会だが、ゆくゆくはこの大会を
国際的なフルオープンの大会にしたいと村上は言うのである。
(155~157p)
小学校の特別支援学級担任の時には、
学級でボッチャをやりました。
「インクルーシブ」か~。
インクルーシブ教育の一環として、
ボッチャをするのもいいなと思いました。
これは比較的たやすく実行に移せます。
私はその視点でボッチャと関わりたくなりました。
そういえば、まだボッチャのデザインの
Tシャツは手に入っていません。☟
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