「バナの戦争」③ もっとしっかり準備しておくべきだった
今日は令和2年2月3日。
前記事に引き続き
「バナの戦争」(バナ・アベド著/金井真弓訳/飛鳥新社)
より引用します。
【バナのお母さん】
おそらく私たちは、もっとしっかり準備しておくべきだったの
よ。アレッポでの戦争に対する準備を。
何年も前に、この戦いの種はいくつもまかれていた。「アラブ
の春」が招いたほかの国での争いや混乱を、私たちは見てきた。
どこかで政権が倒れ、指導者たちが退けられたり殺されたりす
るさまを見てきた。でも、すいうことははるか遠くの話で、絶
対にシリアでは起こらないーーー手遅れになるまで、だれもが
そう信じていた。
(64p)
【バナのお母さん】
シリアで武力衝突が始まったーー2011年、ダルアで暴動が
起こり、政府軍によってティーンエイジャーたちが逮捕され、
むごたらしく殺害されたーーのは、学校でスプレーを使ってア
サド政権に反対する落書きをしたというのが理由だった。私た
ちは衝撃を受け、絶句したけれど、それでもまだ自分には関係
ないことだと思っていた。悲劇ではあっても、現実には思えな
い。他人の苦しみをそう感じるのと同じように。
(64~65p)
お母さんのこの正直な気持ちは、共感できます。
きっと私が同じ立場でもそう考えるだろうなと。
お母さんの話から、戦争前のシリアは
平和であったこともわかりました。
【バナのお母さん】
戦争が起こる前に心配していたあれこれを今思うと、私はわら
ってしまうわ。あなたがくしゃみをしたり、少しでも咳をした
りするたびに、あわててしまったのだから。
この子はお菓子を食べすぎているんじゃないかしら?テレビを
どれくらい見せていいの?そんなことが一番の心配の種になる
のだったら、どんなにいいか。
何か食べるものがあるのかを心配するのではなく、あなたが何
を食べているかを案じるならいいのに。あなたに銃弾や爆弾の
破片が当たることではなく、ちょっとした風邪のことを心配す
るのならいいのに。
(70~71p)
そう思うんだよなあ。日本では、子どものゲーム時間が
問題になっています。
【バナ】
うちの近くの公園に小さな観覧車が組み立てられていたので乗
りにいった。ちょっとだけだよ、とパパ。まだ長い時間、外に
いるのを不安に思っていたの。安全なときでも、そういう不安
を追いはらうって難しい。
(弟の)ヌールは観覧車を気に入ってくれなかった。一周目、
てっぺんまで着いたときに泣いていた。でも慣れてくると、観
覧車が好きになってくれた。
わたしたちは十分間、観覧車に乗って何周もした。ママとパパ
はわたしたちを見ながらニコニコして手をふり、写真をとって
くれた。
あまりにもつらいことをたくさん経験すると、楽しい時間に気
づきやすくなるし、幸せな気持ちもさらに増えるの。
その日、わたしたちはとても幸せだった。そもそも戦争がある
なんてことを、ほとんど忘れるくらいに。
(110~111p)
爆弾が降りそそぐ街で、観覧車を組み立てた人がいることに驚き。
ふだんならささいなことが楽しく幸せに感じると
7~8歳の少女が記しています。
本当はもっと大きくなってから感じることだと思います。
戦争が少女を急速に大人にしていると思いました。
つづく
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