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2019年11月19日 (火)

「燃える海山」③/「隊長はじめ全員が死んだ。」

  

今日は令和元年11月19日。

  

前投稿に引き続いて、「燃える海山 新十津川物語8

(川村たかし著/偕成社)より引用していきます。

  

広島に新型爆弾が投下されてから3日後の8月9日、

カラフトではふいにソ連軍が国境をこえた。

敷香(しずか)の町にながれこむ幌内川(ほろないがわ)の

上流国境地帯は、ミズゴケやハイマツのしげるやせた

ツンドラ地帯である。その広大な原野にいくつかの派出所が

あって、8人の警官が常駐していた。

ソ連兵が侵入してきたのは、午前7時半ごろである。

銃弾がかすめ飛ぶ中を、警察官は応戦しながら、家族をつれて

南方へとにげた。うまいぐあいに、うしろにびっしりと霧が

閉ざした。ソ連兵は追ってこなかったが、撃たれたものか

ふたりの巡査もすがたを見せなかった。これが最初の交戦だった。

とっくに電話線は切断されていた。

(178p)

  

8月8日にソ連は、日本に宣戦を布告。

その知らせを受けていない国境で、このようなことが

起こっていたのですね。

        ☟ ここが当時の国境

Epson118 (裏表紙裏の地図をコピー)

そして終戦の8月15日には次のようなことがありました。

長いけど引用します。

  

翌(8月)15日、ソ連軍はますます数をまし、戦車は50台、

砲十数門、兵は千数百人にふくれあがっていた。

古屯(ことん)兵舎には速射砲が二門あったが、

戦車砲を2,3発受けただけでしずかになってしまった。

あとに弾薬箱だけがのこった。

この部隊に、明治43年につくられたという、おそろしく古い

連隊砲が1門のこされていた。訓練用の見本で、カラフトにきてから

一発も実弾を発射したことがないという骨董品だった。

 

戦車が近づいてくるのを見た下村伍長らが、このやたら砲身の長い

大砲をひっぱりだしたときだった。

「敵戦車接近します。」

という声に、しっかりと陣地をさだめるゆとりもなく、

「ゼロ距離射撃、直接照準。」

下村伍長が大あわてで号令をかけた。

「撃てっ。」

水平にした砲身から、どっと砲弾がふいた。すると、おどろくべき

ことがおこった。速射砲も歩兵隊砲もまるで受けつけなかった戦車が、

かく座※してうごかなくなったのである。中からあわてた迷彩服の

ソ連兵がとびだしてきた。  

  

味方がワッと歓声をあげた。はじめての戦果だ。明治の大砲はなおも

火を吐きつづけた。3台め、4台めと戦車はうごかなくなり、

とびだした兵が空に飛ぶ。7台めは300メートルほど前方で

キャタピラが吹っとび、くるりと向きをかえてうごかなくなった。

5,6秒できめるのだが、ねらいはたしかだった。ほとんど一発で

命中させた。命中させると、土塀の裏にひっぱりこんで弾丸をこめる。

つぎの目標があらわれたとなると、路上にひきだしてぶっぱなした。

15台、16台・・・・。

  

この骨董品の連隊砲は、なんと32台の戦車をかく座したあと、

沈黙した。味方はふるいたった。何台もの戦車を破壊したのは大きかった。

しかし、敵は大部隊である。負傷兵は担架にくくりつけられたまま、

兵舎の庭にほうりだされたままだった。横山中隊長はじめ、つぎつぎと

戦死していく。小村大隊長はのこった60人ほどをあつめて、

森の中ににげた。夜になるのを待って斬りこむつもりだった。

しかし、あべこべにつっこんできた敵兵にあい、隊長はじめ全員が死んだ。

  

ソ連軍は、とうとう古屯川をわたりはじめた。ひざまでの水を

けとばしながら、自動小銃をめった撃ちにしながらおしわたってくるのは、

からだがすくむほどの迫力だった。日本軍も撃ちに撃った。

小銃の撃しんは赤く焼けた。こわいから撃っていたともいえる。

戦友の遺体を楯に撃っていた者も、いつのまにか息絶えていた。

  

夕方になって、ソ連兵の射撃がやんだ。かたっぱしから幹を

ひきさかれたシラカバが、むごいほど赤い夕日に焼けていた。

あちこちでうめき声がきこえる中を、わずかに生きのびた日本兵が、

ツンドラの上の水をすすりながらにげた。

軍馬がしょんぼり立っていても、ふりかえる者はなかった。

はるばる日本からはこばれてきた馬は、いまはじゃまでしかない。

  

これが、8月15日のことである。ポツダム宣言を受けいれて

日本が無条件降伏をした日、カラフト国境では、いま非常理な

戦闘が開始されたばかりだった。

(184~186p)

  

※【かく座】=擱座 戦車・車両などが破壊されて動けなくなること。

  引用:goo辞書

   

著者の川村さんは、取材をして実際にあったことを書いていると

思って読みました。自分だけが読んだだけでは、不十分。こういうことが

あったということは、私のブログの読者に知ってもらいたいと思い、

書き留めました。 

 

8月15日以降、兵士や非戦闘員の人たちがいっしょくたになって

ソ連と戦い、ソ連から逃げたかを、8巻後半は書いていました。

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