「吹雪く大地」②/村社講平さんのことを知る
今日は令和元年11月3日。
前投稿に引き続き、「吹雪く大地 ~新十津川物語7~」
(川村たかし著/偕成社)より引用。
年がかわってしばらくすると、北海道から手紙がとどいた。
フキの手紙はおもしろかった。
いつも家族できいた。読み役はトヨに決まっている。
ーーーー新年おめでとうございます。内路(ないろ)の
光一たちもなかよくやっている由(よし)、なによりです。
ことし昭和15年は、ほんとうなら東京オリンピックが
ひらかれるはずだったのに、戦争でわやくちゃになりました。
ところが陸上競技に出るつもりだったあいだけは、
まだあきらめきれずに、毎朝学校へ走って出かけます。
今朝男もいっしょに走ります。ぎりぎりに家を出るのは、
練習のつもりでしょう。そこで婆ンちゃは
”フレーフレー村社(むらこそ)” ”前畑がんばれ”と応援してやります。
村社講平も前畑秀子も、4年前のベルリンオリンピックで
活躍した選手である。中継放送をきいて、日本じゅうが熱狂した。
(173p)
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で、
昭和15年の東京オリンピック返上が扱われたのは
10月でした。
時代が重なりました。
「戦争でわやくちゃ」というイメージだったのでしょう。
そして村社講平の名前は、ブログでかつて登場した名前です。
※ここでも道草 山下勝選手のドラマを見ました(2014年8月2日投稿)
山下勝選手中心の記事でしたが、
山下勝のライバルが村社講平でした。
いい機会なので、村社講平について調べました。
Wikipediaには次のように書いてありました。
中央大学在学中の1936年ベルリンオリンピックに
日本代表として出場。5000m・10000mでともに
スタートからフィンランドの3選手とせり合い観衆を沸かせ、
4位入賞を果たす。10000mのレースはレニ・リーフェンシュタールの
「民族の祭典」に収録された。
そのベルリンの村社の力走に感銘したチェコスロバキアの少年が、
後の人間機関車ことエミール・ザトペックであった。
(中略)
第二次世界大戦後、軍から復員した後は毎日新聞の運動部記者になり、
スポーツ取材をする傍ら毎日マラソン(現在のびわ湖毎日マラソン)、
全国高等学校駅伝競走大会、全日本実業団対抗陸上競技大会等の創設に携わった。
これから3月に行われるびわ湖毎日マラソンを見ると、
村社講平さんが思い浮かぶことになりそうです。
ザトペックがみた「民族の祭典」の映像を見てみたいですね。
確か家にあったぞ。
なぜかレーザーディスクだったはず。
なぜレーザーディスクだったのかは不明。
再生できないのに手に入れていました?
きっと天井裏にあるはず。
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