「異色の戦争画」②作戦記録画
今日は令和元年10月26日。
前投稿に引き続き、9月8日放映の
「日曜美術館 異色の戦争画 知られざる従軍画家 小早川秋聲」
より。
番組開始から21分過ぎから聞き書きをします。
ナレーター:昭和16年。真珠湾の奇襲攻撃に始まった太平洋戦争。
開戦とともに、日本軍が画家たちに委嘱して、
戦争画を描かせる動きが明確化します。
特別に「作戦記録画」と呼ばれた戦争画。
真珠湾攻撃の絵を軍から依頼されてのは、
藤田嗣治(つぐはる)でした。
奇襲部隊が撮った写真をもとにしたというこの絵。
アメリカの軍艦が、水柱を上げて沈む姿が、
上空からの視点で、リアルに描き出されています。
日本軍は、南方の石油資源を確保するため、
インドネシアの油田地帯を落下傘部隊によって占領します。
青空をバックに、無数の落下傘が舞い降りています。
敵陣の中に降下していく兵士たちは、
空の「神兵」と称えられ、その快挙が歌にされました。
シンガポールを陥落させた日本軍。
山下奉文(ともゆき)将軍は、イギリス軍のパーシバル将軍に
イエスかノーかと降伏を迫りました。
ニュース映画そのままに、会見の様子をリアルに描き出した
宮本三郎の絵。
当時、戦争画の最高傑作と称えられました。
小早川秋聲は、昭和18年、作戦記録画の制作者に選ばれます。
ビルマのイギリス軍の降伏場面を描くように指示されました。
前の年の昭和17年。日本軍はビルマ全土を制圧しました。
しかし、昭和18年に入ると、
各地でイギリス軍の反撃が始まっていました。
小早川が従軍画家として赴(おもむ)いたのは、その頃でした。
小早川はビルマでの体験を、新聞に従軍記として書きました。
小早川:数機編隊の空爆をくらった。壕の土を震わし、
私の肉を通して、骨に響いた。足もやられた。
そこを守る勇士は、壮烈なる戦死をした。
ナレーター:小早川は、ジャングル地帯の最前線の
悲惨な実態を記しています。
小早川:水は、池の泥水と、瓶にためた雨水。
これとても泥で濁っている。
汁に浮かぶ菜のごときものは、野草である。
毒草でない限り、牛馬が食うものは人間も食べられると
将兵はそれを食い、英気を養っている。
ナレーター:帰国後、小早川が描いたイギリス軍旅団長が
捕虜となる絵。
現在、絵は行方不明。
絵葉書でようやく絵柄を知ることができます。
これはビルマ従軍の後に描かれた風変わりな戦争画です。
陸軍の大佐と思われる軍人が、茶を飲む姿です。
小早川は、従軍記の中で、こう書いています。
小早川:急に出陣の命令が達したので、部隊長は心静かに
茶碗で一服、薄茶を立てだした。
茶は黄土色にがしている。
香気も風味もないはずである。
隊長の落ち着き、心構えは、武人として、
いかにもゆかしい極みである。
小早川秋聲は、満州事変から日中戦争でも従軍して、
見たものを描いてきました。
戦闘している絵は少なく、兵士が休んでいたり、
寒さの中で火にあたっていたり、あるいは、
上記のお茶を飲む姿といった、
日常の何気ない姿を絵にしました。
その多くが絵葉書になり、戦地と内地との間で交わされた
軍事郵便としても使われました。
イギリス旅団長の降伏の絵のように、
元の絵が行方不明になっていて絵葉書が残っているものが
たくさんあるそうです。
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