「その時歴史が動いた・人見絹枝」その7/努める者は何時か恵まれる
今日は令和元年7月21日。
前投稿に引き続き、2004年8月18日放映
「その時歴史が動いた 奇跡の銀メダル 人見絹枝
日本女子初メダル獲得の時」より。
オリンピック終了後、人見絹枝は、
女子スポーツの推進のために活動します。
さらには、次期オリンピックでの
「女子選手団」参加の目標を立てて後進を育てていました。
今度は一人ではなく、選手団として
日の丸を掲げたいと思ったのです。☟
24歳の若さでこの世を去りました。
それは奇しくも、人見絹枝がアムステルダムオリンピックで
銀メダルを取った時からちょうど3年目にあたる
昭和6年(1931年)8月2日でした。
人見絹枝が競技者を目指す後輩たちに残した言葉を紹介して
番組は終わりました。
その言葉です。☟
向上 進歩するには、苦しみがあります。
しかしその苦しみもいつかは実になって
表れるときがあるのです。
私のモットーは
唯これ一つです。
努(つと)める者は
何時(いつ)か恵まれる。
以上で、
「その時歴史が動いた 奇跡の銀メダル 人見絹枝
日本女子初メダル獲得の時」の読み物化完了。
15年前の番組でしたが、たくさんのことを知った
45分間でした。
次は「英雄たちの選択」版の人見絹枝物語を見たいです。
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